福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「十善法語」その50

2019-10-20 | 十善戒
近く此を身に取らば。此人の此世に在る。誕生すれば直に親族が集て衣服を裁して膚を覆はせるぞ。相應の慶賀の有る。少分でも過去の不偸盗の善業は頼もしきことじゃ。まして王公大人は四海萬国も悦び推戴する。中上品の不偸盗の善業は猶更貴むべきことじゃ。生縁盡て命終すれば。士庶人も葬儀追薦の有る。少分でも過去世不偸盗戒の善業は猶更貴むべきことじゃ。其中間の衣服飯食など。威勢官爵など。士庶人でも頼しきじゃ。王公大人は猶更貴むべきこと。誠に不偸盗戒の善業は目にみえたことじゃ。

世に貧窮乞丐(こつがい)の者も有り。凍餒(とうだい)の民もあり。
梨軍支比丘。(撰集百縁經卷第十に梨軍支比丘のことが出ている。梨軍支は前世で仏に供養しようとした母を虐待したためこの世で飢に苦しんだ。太平記第三十五には「舎衛国に一人の婆羅門あり。其妻一りの男を産り。名をば梨軍支とぞ号しける。貌醜く舌強くして、母の乳を呑する事を不得。僅に酥蜜と云物を指に塗り、舐せてぞ命を活けたりける。梨軍支年長じて家貧く食に飢たり。爰に諸の仏弟子達城に入て食を乞給ふが、悉鉢に満て帰給を見て、さらば我も沙門と成て食に飽ばやと思ひければ、仏の御前に詣でゝ、出家の志ある由を申に、仏其志を随喜し給て、『善来比丘於我法中快修梵行得尽苦際。』と宣へば、鬢髪を自落て沙門の形に成にけり。角て精勤修習せしかば軈阿羅漢果をぞ得たりける。さても尚貧窮なる事は不替。長時に鉢を空くしければ仏弟子達是を憐て、梨軍支比丘に宣ひけるは、『宝塔の中に入て坐よ。参詣の人の奉んずる仏供を請て食んに不足あらじ。』とぞ教られける。梨軍支悦て塔の中に入て眠居たる其間に、参詣の人仏供を奉りたれ共更に是を不知。時に舎利弗五百人の弟子を引て、他邦より来て仏塔の中を見給に、参詣の人の奉る仏供あり。是を払集て、乞丐人に与へ給ふ。其後梨軍支眠醒て、食せんとするに物なし。足摺をしてぞ悲ける。舎利弗是を見給て、『汝強に勿愁事、我今日汝を具して城に入り、旦那の請を可受。』とて伽耶城に入て、檀那の請を受給。二人の沙門已に鉢を挙て飯を請けんとし給ける処に、檀那の夫婦俄喧をし出して、共に打合ける間、心ならず飯を打こぼして、舎利弗・梨軍支共に餓てぞ帰給ける。其翌の日又舎利弗、長者の請を得て行給ひけるが、梨軍支比丘を伴ひ連給ふ。長者五百の阿羅漢に飯を引けるが、如何して見はづしたりけん。梨軍支一人には不引けり。梨軍支鉢を捧て高声に告けれども人終に不聞付ければ、其日も飢て帰にける。阿難尊者此事を憐て、『今日我仏に随奉て請を受るに、汝を伴て飯に可令飽。』と約し給。阿難既に仏に随て出給時に、梨軍支に約束し給つる事を忘て、連給はざりければ、今日さへ鉢を空して徒然としてぞ昏しける。第五日に、阿難又昨日梨軍支を忘たりし事を浅猿く思召て、是に与ん為に或家に行て飯を乞て帰給。道に荒狗数十疋走進ける間、阿難鉢を地に棄て、這々帰給しかば、其日も梨軍支餓にけり。第六日に、目連尊者梨軍支が為に食を乞て帰給に、金翅鳥空中より飛下て、其鉢を取て大海に浮べければ、其日も梨軍支餓にけり。第七日に、舎利弗又食を乞て、梨軍支が為に持て行給に、門戸皆堅く鎖して不開。舎利弗以神力其門戸を開て内へ入給へば、俄に地裂て、御鉢金輪際へ落にけり。舎利弗、伸神力手御鉢を取上げ飯を食せんとし給に、梨軍支が口俄に噤て歯を開く事を不得。兔角する程に時已に過ければ、此日も食はで餓にけり。此に梨軍支比丘大に慚愧して、四衆の前にして、『今は是ならでは可食物なし。』とて、砂をかみ水を飲て即涅槃に入けるこそ哀なれ。諸の比丘怪て、梨軍支が前生の所業を仏に問奉る。于時世尊諸の比丘に告曰、『汝等聞け、乃往過去に、波羅奈国に一人の長者有て名をば瞿弥といふ。供仏施僧の志日々に不止。瞿弥已に死して後、其妻相続て三宝に施する事同じ。長者が子是を忿て其母を一室の内に置き、門戸を堅く閉て出入を不許。母泣涕する事七日、飢て死なんとするに臨で、母、子に向て食を乞に、子忿れる眼を以て母を睨て曰、「宝を施行にし給はゞ、何ぞ砂を食ひ水を飲で飢を不止。」と云て遂に食物を不与。食絶て七日に当る時母は遂食に飢て死ぬ。其後子は貧窮困苦の身と成て、死して無間地獄に堕す。多劫の受苦事終て今人中に生る。此梨軍支比丘是也。沙門と成即得阿羅漢果事は、父の長者が三宝を敬し故也。其身食に飢て砂を食て死せし事は、母を飢かし殺したりし依其因果也。』」とある。)

伯夷叔齊の類の。(史記列伝に「武王、已に殷の亂を平らげ、天下は周を宗とす。 而して伯夷・叔齊はこれを恥じ、義をもって周の粟を食さず。 首陽山に隱れ、薇を采りてこれを食う。 餓えて且に死なんとするに及び歌を作す。 その辭に曰く、『彼の西山に登り、その薇を采る。暴を以って暴に易え、その非を知らず。神農・虞・夏は忽焉と沒し、我は安にか適歸せん。于嗟徂かん。命これ衰えたり』と。 遂に首陽山に餓えて死す。」とある。)

其徳有て餓る。皆特別の因縁の有べきことじゃ。通途ではない。
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