かの大日経疏(大毘盧遮那經供養次第法疏)に「本不生理自在理智。自覚本不生」または自性の極位を釈して「心自証心、心自覚心(心みずから心を證す、心みずから心を覚す)」等と云うが如きは、これ一般仏教の窮竟果体(覚り)とせる無相一如の境は法爾として理智契合(覚られるべき真理と覚るための智慧が一体となる)せる自証直観の実在体なることを語るものである。一般仏教にては現世は無常なり、衆生は罪悪深重の迷子なりとし、この因分の世界(覚りへむかって修業する立場)に対し、果分の境(覚った境涯)を定立し、果分を窮竟の理想境とし、その理想を実現すべく、無我空を観じ、無明我執を断ずる道を明かすものなるも、己に無分別智を得て、如来大覚の境に達したるときは最早能求所求、能証所証の差別なく(求める立場の者・求められる真理、証せんとする立場の者・証されるべき真理、の差別なく)現実と理想との区別を超越したる絶対大覚体の存するのみである。
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