Q、修行したのちまた俗世に出ていく修行僧のかたもいますが佛縁が薄いのでしょうか?
A,
二通りの場合があると思います。
一つ目は、佛縁が薄い場合。
二つ目は、仏様により悟後の修行をさせられている場合です。
禅宗では悟りを得たのちの修行を「聖胎長養」といいます。唐の馬祖道一の『馬祖語録』「示衆」のには「色の空なるを知るが故に、生は則ち不生なり。若し此の意を了せば、乃ち時に随いて著衣喫飯し、聖胎を長養して、任運に時を過ごすべし」とあります。
日本においては、鎌倉時代末期の大燈国師や江戸時代の白隠などが重視したといいます。
大燈国師についていえば、師大応の印可を得た大燈は、京都に帰り鴨川の橋の下で乞食の群れに入り、「五条橋下二十年の聖胎長養」につとめたとされ、一休も模範としたとされます。
江戸時代の白隠禅師も「悟後の修行(聖胎長養)」によって悟りを深めることで、禅の完成があるとされています。
A,
二通りの場合があると思います。
一つ目は、佛縁が薄い場合。
二つ目は、仏様により悟後の修行をさせられている場合です。
禅宗では悟りを得たのちの修行を「聖胎長養」といいます。唐の馬祖道一の『馬祖語録』「示衆」のには「色の空なるを知るが故に、生は則ち不生なり。若し此の意を了せば、乃ち時に随いて著衣喫飯し、聖胎を長養して、任運に時を過ごすべし」とあります。
日本においては、鎌倉時代末期の大燈国師や江戸時代の白隠などが重視したといいます。
大燈国師についていえば、師大応の印可を得た大燈は、京都に帰り鴨川の橋の下で乞食の群れに入り、「五条橋下二十年の聖胎長養」につとめたとされ、一休も模範としたとされます。
江戸時代の白隠禅師も「悟後の修行(聖胎長養)」によって悟りを深めることで、禅の完成があるとされています。