(靖国神社社10月頭掲示より)
「遺言書」
陸軍曹長 川北偉夫命 昭和十九年十月十八日 ビルマ・サガイン州(注1)にて戦病死。
京都府何鹿郡出身 二十七歳。
「御両親様
生を享け茲に二十六年御心配のみお掛け申して先立つ不孝何卒お許し下され度、然しながら恐れ畏くも、天皇陛下の御為萬歳を唱へつつ戦死したその状況は平常の言行から推して決して女々しい振舞でなかった事を信じ下され度、願ひ上げ候。(中略)。
千代子殿 かねて軍人の妻として嫁ぐ前より覚悟なし居りし事と思ふが決して取り乱す事なくその武勲を喜んでくれよ。よく仕へてくれた事を心より感謝して居る。短い期間であったが誰よりも可愛い妻として暮らした事は忘れない。あくまで川北家に踏み止まって御両親に仕へてくれ・・(中略)。
昭和十八年十二月二日。 入隊前認む。」
(注1)昭和19年7月にはインパール作戦は大敗北、このころは日本軍は撤退に次ぐ撤退を重ねていたころです。サガインはマンダレーの直ぐ西の古都。19年12月に始まったイラワジ会戦の中心地でもあります。