福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

10月22日の坂東巡礼の記録を中島さんが作ってくださいました

2013-10-24 | 開催報告/巡礼記録
10月22日坂東三十三ヶ所札所、第10番正法寺、第11番安楽寺に巡拝してきました。
東武東上線高坂駅からバスで20分程で正法寺に着きました。大東文化大学入口バス停を降りて、すぐ目の前の歩行者専用のトンネルを抜けるといきなり境内に出ました。知らずに歩いていってしまったのですが、それは裏参道でした。そこでいったん境内の長い石段を下り表参道からと思いますと、石段から眼下には一直線の参道が長く伸びています。正法寺の往時の賑わいをしのびました。正法寺は役行者によって開かれたと言われているそうですが、伝承によれば沙門逸海という僧が崖を削って千手観音像を岩窟に安置し、庵を結んだのが始まりだとの事です。薬師堂裏手の岩壁には坂東、西国、秩父の百観音と四国八十八ヶのうつし本尊となる小さな石仏がたくさん並んでいました。また坂上田村麻呂が奥州征伐に向かう途中、この地で悪竜に悩まされていた里人の願いを聞き、夏に大雪を降らせて悪竜を退治したとの伝承があり、それは観音菩薩の霊験だったとの事。静かな境内では観音堂の前での私達の読経の声だけが聞こえているばかりです。私は高原講元様から、この寺の千手観音菩
薩の現代の凄い霊験の話(12番先住さんが癌で入院しているときここの千手観音様に家族が護摩祈願したら観音様が病院で夢枕に立たれて先住さんが回復した)を聞いて、私の闘病中の父の事や色々な事にお陰を頂きたいと願いました。お寺に入ると、心が平安になり原点に戻ったような気持ちになります。ほんとに気持ちが鎮まります。また来たいなと思いながら、次の安楽寺に向かうバス停に着くと、すぐにバスが来ました。ありがたい事です、私達しか乗客はいません。高坂駅に戻り、安楽寺近くで降りると、県道から脇道へ入った長い参道を上がりますと、堂々とした雰囲気の本堂が杉林を背に建っていました。この寺は行基が観音像を刻んで岩窟に納めたのが始まりで、坂上田村麻呂が戦勝を祈願し、戦に勝利した田村麻呂が帰路、堂宇建立したと伝えられているそうです。安楽寺の発展に力を注いだのが源範頼で、平治の乱に敗れた後、助命され、この地で僧として育った為この辺りの地名が「御所」となっているのだそうです。三重塔も素晴らしく、ゆっくり見たかったのですが、時間がなく帰りのバス停に向かいました。するとまたすぐバスがきました。なんともありがたい事です。東松山駅近くで反省会をし、皆さん
と御一緒に巡拝が今日も出来た事に感謝です。電車に乗ると私はタッチの差で次の乗り換え電車に乗り遅れ一時間待になってしまいましたが、そのお陰で、なんと電車の中で何となくどうしているかなと思っていた珍しいその人にバッタリ逢えて嬉しく、これもお導き、お陰を頂けたのかなと思いました。
中島
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