福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

いかにいわんや常に仏を見たてまつるをや

2019-07-18 | 諸経
往生要集上 (十楽) 十、第十に増進佛果の楽とは、今この沙婆世界は、道を修して果を得ること甚だ難し。いかんとなれば苦を受けるものは常に憂へ、楽を受くるものは常に著す。苦といひ、楽といひて遠く解脱を離る。もしは昇、もしは沈、輪廻にあらずといふことなし。たまたま発心して修行するものありといへども、また成就すること難し。煩悩内に催し、悪縁外に牽いて或いは二乗の心を発し、或は三悪道に還る。たとえば水中の月の波に随ひて動き易く、陣前の戦の刃にのぞめば則還るが如し。魚子は長じ難く、菴果は熟すること少し。かの身子(舎利弗のこと)等の六十劫に退しがごときものこれなり。ただ釈迦如来は無量劫に於いて難行し苦行して、功を積み徳を重ね、菩薩の道を求めていまだかって止息したまはず。三千大千世界を観ずるに乃至芥子ばかりもこの菩薩の身命を捨てたふところにあらざる如きものあることなし。衆生のための故なり。しかるのちにすなわち菩薩の道を成ずることを得たまヘリ。・・・かの極楽国土の衆生は多く因縁あるがゆえに畢竟して退かず。仏道を成ず。一には仏の悲願力、常に摂持したまふがゆえに。二には仏の光、常に照らして菩提心を増すがゆえに。三には水鳥・樹林・風鈴等の声、常に念仏・念法・念僧の心を生ぜしむるがゆえに。四には統らもろもろの菩薩以て善友となり、外に悪縁なく、内に重惑を伏するがゆえに。五には寿命永劫にして仏と共に斉等なれば仏道を修習するに生死の間隔あることなきがゆえに。
華厳の偈にいわく「もし衆生ありて一たび佛を見奉れば必ずもろもろの業障を浄め除かしめん」と。
一たび見たてまつるすらなおしかり。いかにいわんや常に見たてまつるをや
。この因縁によりてかの土の衆生は・・・無生忍を覚り、究竟して必ず一生補生に至る。乃至すみやかに無上菩提を証す。縁にしたがひもろもろの衆生を度す。・・・照らして菩提心を増すがゆえに。
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