今日十一月九日は嵯峨天皇が大師を乙訓寺別当に任ぜられた日です。嵯峨天皇は、弘仁二年(811)十一月九日太政官符をもって弘法大師(空海)を乙訓寺別当にされています。高野大師御広伝に「同年(弘仁二年(811))十一月九日、下太政大臣官符於治部省云々。僧空海 ・・・件僧住山城國高雄山寺、而其所不便、省宜承知、令住同國乙訓寺・・」とあります。 . . . 本文を読む
信仰の無償性、亀井勝一郎「・信仰途上における最大の誘惑は自分一人だけ一足先に救われようとする焦燥感であろう。・・もし本当に無常に徹したならば無我になりうるはずだ。人は他のすべてに対しては無常の観念をもって臨みうるけど、己に向かってはそれを厳しく適用しない。他に対しては鋭く懐疑的でありながら己については甘い。自分の頭脳をみれば百鬼夜行の如くである。その様々の妄想を神が照覧するならば捧腹絶倒したまうで . . . 本文を読む
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史料綜覧 巻七 / 永享四年(1432)十一月九日条
「九日・・・山城醍醐天皇山陵 大和聖武天皇御廟 及ビ将軍塚(注1)鳴動ス」
天皇は後花園天皇。室町幕府は足利義教。
(注1)ウキぺデアに依れば、将軍塚は、京都府京都市東山区の東山(桃山丘陵)の稜線上、華頂山の山頂にある。8世紀末、桓武天皇が平安京造営に際してその鎮護のため、高さ8尺の土人形に甲冑を着せた「将軍像」を埋めた塚を造るよう . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 14/14巻の7/8
七、藏縁法師地蔵を信じ神通を得る事 元亨釈書に載せる所
藏縁法師は神融法師の徒なり。形短くして甚だ醜き性質なりしが常にしずかに歩行国人歩りても及ぶことあたはず。専ら地蔵の名號を唱へて他の業とては曽てなし。平生毀をも捨てず譽れをも可なりとせず、好んで施すことを行ず。年八十に至りて皃(かたち)四十ばかりの如し。神通の感響の應ずる如く、鬼を縛り神を降す。白山 . . . 本文を読む
世界的な仏教学者・南條 文雄(なんじょう ぶんゆう)は 昭和2年(1927年)11月9日に78歳で没しています。岐阜県大垣市の誓運寺(真宗大谷派)に生まれ、 サンスクリット(梵語)研究のため英語を一切知らぬままに渡英、オックスフォード大学のマックス・ミューラーのもとでヨーロッパにおける近代的な仏教研究の手法を学び、オックスフォード大学よりマスター・オブ・アーツの称号を授与され、1889年には文部省 . . . 本文を読む
雄略天皇も北の高句麗から南の百済を守っています。
「日本書記・雄略天皇」「二十三年479、夏四月、百済文斤王薨ず。天皇、昆支王の五子の中に第二末多王の幼年聡明を以て勅して内裏に喚したまふ。親ら頭を撫で誠勅慇懃にして、其の国に王たらしむ。仍りて兵器を賜ひ幷せて筑紫國の軍士五百人を遣り、國に衛送らしめ、是を東城王と為す。是の歳、百済の調賦常の例に益されり。筑紫安致臣(あちの)・馬飼臣 . . . 本文を読む