今日は長らく福州に留め置かれていた大師一行が大師の「福州の観察使に与ふるが為の書」によりやっと福州を発して長安に向かった日です。日本後紀に(延暦二十三年804)「十一月三日、臣等(大師・遣唐使藤原葛野麻呂等)発して上都に赴く。此州は京を去ること七千五百廿里、星発星宿、晨昏兼行。十二月廿一日、上都長楽駅(注1)に到る」(注1)(長楽駅とは長安にある駅舎で遣唐使が長楽駅に到ると、唐朝廷から勅使の迎えが . . . 本文を読む
・金沢雲龍寺住職、荒崎良徳師の「般若心経に救われた私」と題する一文が大法輪22年8月号にありました。概要を書いておきます。
「昭和58年私(荒崎)は大きな苦しみに出会い、自殺を考えるに至った。毎日暗いうちから本堂の観音様の前で「大般若理趣分」と「般若心経」を唱え続けた。ある日、林屋友次郎師の「般若心経の逐語的解釈」(『般若心経講義』昭和11年、東大佛青会編、三省堂発行内の一文)に . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 14/14巻の1/8
地蔵菩薩三国霊験記巻十四目録
一、壬生寺 開基幷に地蔵尊の靈験
二、更雀寺 世に雀の森と云。開基幷に地蔵の靈験
三、寶蔵寺 世に関の地蔵と云ふ
四、地蔵院 宇賀逗子
五、誠心院 寺町三條下る和泉式部町
六、西林寺 世に尨毛(むくげ)の地蔵と云ふ
七、藏縁法師地蔵を信じ神通を得る事 元亨釈書に載せる所
八、如藏尼の事
地蔵 . . . 本文を読む
文永の役で亀山上皇は連日祈祷を行い、幕府は山陰道も固めています。
史料綜覧 巻五 / 文永十一年(1274)十一月三日条
「三日 蒙古ノ事ニ依リテ 亀山上皇御所ニ於テ 御卜ヲ行フ」
史料綜覧 巻五 / 文永十一年(1274)十一月三日 . . . 本文を読む