今年第62回式年遷宮を迎える伊勢神宮の御白石持行事に8月に参加してきました。
神宮は式年遷宮に向けて8年前から準備が始まっています。御白石持行事は新御敷地に敷き詰めるお白石をお納めする神事です。遷宮にあたり最初に行なわれる御造営のための用材を伐採する為の儀式から始まって30程の祭、行事が遷御までの間に執り行われます。その中で伐り出された御用材を内宮と外宮の境内に曳き入れる御木曳行事と、私が参加した御白石持行事は、地元市民である神領民と、前々回から参加が許された他県からの参加者で特別神領民と呼ばれる人たちが参加する事が出来ました。特別神領民としての参加は、神社庁などを経由しての事前の申し込みが必要でした。私の場合、知り合いの神職さんから誘って頂き、20年に一度の良い機会に恵まれました。神職さんや地元の氏子、総代の方々や友人とで、40名程でバスで行き、走行距離は往復1200キロにも及びました(疲れました。)御白石持行事はいよいよ遷宮の最後の神事で、7月から週末等にわたって何週間かに分けて数日行なわれ、私が参加した12日は内宮では最後の日でした。
前日に伊勢市に着くと、まず外宮に正式参拝しました。たくさんの団体でごったがえしていて、順番待つ間も汗だくです。正式参拝は外宮の神主さんに正装であるか厳しくチェックされて、せっかく、はるばる来ても、日本でもっとも神聖な場所です、天皇陛下も正装で入られる場所ですからと、服装で正式参拝を断られる人達がたくさんいました。次に予約時間が決められていた二見興玉神社で明日着る半被の禊の為の正式参拝をしました。時間が決められていてその時間に間に合わなかったら、明日は参加できないという事で、遷宮館も見る暇もなく急いで、半被を着て向いました。
普通、神社の払え具は、は白和紙で出来ていますが、二見興玉神社のは海藻でできていました。潮の力で、人の罪穢れを払う為だそうです。海に鎮座している神社ならではと思いました。目前には二見が浦の夫婦岩があり美しい海が広がりキラキラと輝いています。歩いていると85歳のお爺さんに話しかけられました、明日の行事の為に熊本から来ていて、暑さの中なのに凄い元気でした。翌日は朝7時半に結団式、8時に奉献スタート、白石を積んだ「太一」と書かれた奉曳車を二本の太い白綱でみんなで「えんや~」と勇ましくおはらい町通りを宇治橋まで曳きます。お白石は伊勢市民が宮川という川から拾いキレイに洗い樽の中にこの日の為に用意しておいたものです。首には焼印が着いた木札をさげます。焼印にはそれぞれ「伊」「勢」「神」「宮」のどれかが焼印され、ついている玉の数や紐の色で自分が曳く綱の位置を表しています。横並びに四人が並ぶと伊勢神宮の文字になるようになっています。宇治橋前到着すると曳きは終わり、手水、白布を受取り、そして拳大のお白石を受取り
白布の上に乗せ神宮遙拝し、いよいよお白石の奉献です。西の御敷地に建つ新殿は本当に美しかったです。遷宮が終われば、一般人は決して入る事のできない新宮の聖域に入って行きました。一歩足を踏み入れるとすぐその真新しい檜の玉垣の美しさと香しさにに包まれた空間に感動です。それだけでもう涙が出そうになりました(ふだんから涙もろいのですが)。御神木の檜の美しい色と敷き詰められたお白石の白さだけの世界は静寂さのなか荘厳で、神々しさに満ちています。
新宮の奥に入ると洗練された「唯一神明造り」の神殿は見る者の魂をゆさぶりおこすかのようです。常若、何よりも清らかで美しいものでした。私もこの瞬間は太古から続く日本の伝統と宗教の素晴らしさに日本人に生まれた事を誇りに思いました。
私のお白石は神殿の、ある場所にそっと奉献しました。その場所は、はっきり覚えていて思い出す事が出きます。これから二十年の間、ずっと静かに……。
内宮の正式参拝も済ますと10時でした。今回の御白石持行事は特別神領民だけで3.5万人が参加し、伊勢市民の神領民合わせると20万人とか?(詳しくは知りませんが)参加したそうです。今回の遷宮の費用は550億円かかり、それでも節約してだそうです。
10月はいよいよ天皇陛下が決めた時刻に本殿から出御し、新殿に入御する遷御です。
真夏の暑さのなか大変でしたが、本当に参加して良かったです。一生の思い出となりました。
中島
神宮は式年遷宮に向けて8年前から準備が始まっています。御白石持行事は新御敷地に敷き詰めるお白石をお納めする神事です。遷宮にあたり最初に行なわれる御造営のための用材を伐採する為の儀式から始まって30程の祭、行事が遷御までの間に執り行われます。その中で伐り出された御用材を内宮と外宮の境内に曳き入れる御木曳行事と、私が参加した御白石持行事は、地元市民である神領民と、前々回から参加が許された他県からの参加者で特別神領民と呼ばれる人たちが参加する事が出来ました。特別神領民としての参加は、神社庁などを経由しての事前の申し込みが必要でした。私の場合、知り合いの神職さんから誘って頂き、20年に一度の良い機会に恵まれました。神職さんや地元の氏子、総代の方々や友人とで、40名程でバスで行き、走行距離は往復1200キロにも及びました(疲れました。)御白石持行事はいよいよ遷宮の最後の神事で、7月から週末等にわたって何週間かに分けて数日行なわれ、私が参加した12日は内宮では最後の日でした。
前日に伊勢市に着くと、まず外宮に正式参拝しました。たくさんの団体でごったがえしていて、順番待つ間も汗だくです。正式参拝は外宮の神主さんに正装であるか厳しくチェックされて、せっかく、はるばる来ても、日本でもっとも神聖な場所です、天皇陛下も正装で入られる場所ですからと、服装で正式参拝を断られる人達がたくさんいました。次に予約時間が決められていた二見興玉神社で明日着る半被の禊の為の正式参拝をしました。時間が決められていてその時間に間に合わなかったら、明日は参加できないという事で、遷宮館も見る暇もなく急いで、半被を着て向いました。
普通、神社の払え具は、は白和紙で出来ていますが、二見興玉神社のは海藻でできていました。潮の力で、人の罪穢れを払う為だそうです。海に鎮座している神社ならではと思いました。目前には二見が浦の夫婦岩があり美しい海が広がりキラキラと輝いています。歩いていると85歳のお爺さんに話しかけられました、明日の行事の為に熊本から来ていて、暑さの中なのに凄い元気でした。翌日は朝7時半に結団式、8時に奉献スタート、白石を積んだ「太一」と書かれた奉曳車を二本の太い白綱でみんなで「えんや~」と勇ましくおはらい町通りを宇治橋まで曳きます。お白石は伊勢市民が宮川という川から拾いキレイに洗い樽の中にこの日の為に用意しておいたものです。首には焼印が着いた木札をさげます。焼印にはそれぞれ「伊」「勢」「神」「宮」のどれかが焼印され、ついている玉の数や紐の色で自分が曳く綱の位置を表しています。横並びに四人が並ぶと伊勢神宮の文字になるようになっています。宇治橋前到着すると曳きは終わり、手水、白布を受取り、そして拳大のお白石を受取り
白布の上に乗せ神宮遙拝し、いよいよお白石の奉献です。西の御敷地に建つ新殿は本当に美しかったです。遷宮が終われば、一般人は決して入る事のできない新宮の聖域に入って行きました。一歩足を踏み入れるとすぐその真新しい檜の玉垣の美しさと香しさにに包まれた空間に感動です。それだけでもう涙が出そうになりました(ふだんから涙もろいのですが)。御神木の檜の美しい色と敷き詰められたお白石の白さだけの世界は静寂さのなか荘厳で、神々しさに満ちています。
新宮の奥に入ると洗練された「唯一神明造り」の神殿は見る者の魂をゆさぶりおこすかのようです。常若、何よりも清らかで美しいものでした。私もこの瞬間は太古から続く日本の伝統と宗教の素晴らしさに日本人に生まれた事を誇りに思いました。
私のお白石は神殿の、ある場所にそっと奉献しました。その場所は、はっきり覚えていて思い出す事が出きます。これから二十年の間、ずっと静かに……。
内宮の正式参拝も済ますと10時でした。今回の御白石持行事は特別神領民だけで3.5万人が参加し、伊勢市民の神領民合わせると20万人とか?(詳しくは知りませんが)参加したそうです。今回の遷宮の費用は550億円かかり、それでも節約してだそうです。
10月はいよいよ天皇陛下が決めた時刻に本殿から出御し、新殿に入御する遷御です。
真夏の暑さのなか大変でしたが、本当に参加して良かったです。一生の思い出となりました。
中島