平成2年大法輪2月号に村岡空師が「お大師様がお不動様であることを信じられないのは大師信者にあらず」とかいています。
まず師は大師がお不動様を日本に将来された(波切不動のこと)と述べた後、頼瑜撰「真俗雑記」八の「五十五、大師御影印相の事」に「真光院(禅助大僧正)の口伝にいう、『大師は不動尊の三摩地にはいっておられる。右手の五鈷杵はこれが剣である。左手の数珠はこれが索である』と。」あると引用しています。そしてこの大師像は「真如式」といわれるもので、大師入定の直前、十大弟子のうちの真済と真如法親王が映しとったものと書いています。
そして大師は衆生済度の強い願いから不動尊のお姿を選んだとしています。
まず師は大師がお不動様を日本に将来された(波切不動のこと)と述べた後、頼瑜撰「真俗雑記」八の「五十五、大師御影印相の事」に「真光院(禅助大僧正)の口伝にいう、『大師は不動尊の三摩地にはいっておられる。右手の五鈷杵はこれが剣である。左手の数珠はこれが索である』と。」あると引用しています。そしてこの大師像は「真如式」といわれるもので、大師入定の直前、十大弟子のうちの真済と真如法親王が映しとったものと書いています。
そして大師は衆生済度の強い願いから不動尊のお姿を選んだとしています。