福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

エンドレスな修行と先祖供養の必要性について

2011-02-05 | 法話
けさ、突然しみじみと、
「自分を含め生きとしいけるものはほんとうに生まれ変わり死にかわりしているのだなあ。自分もなにかの業にひかれてこの世に生まれてきているのだろうが今回の生で仏の教えにあい、こうして行をさせていただけるのはほんとうになんと有難いことか。どういう前世の善行でこのようなありがたい機会に恵まれたのだろうか。不思議でしょうがない。それにしてもこの有難い仏縁をなんとかして一人でもおおくの人に広めたいものだなあ」と思いました。

我々は時間的には無始以来の先祖の遺伝子のかたまりであるとともに空間的にはあらゆる命と繋がっています。つまり時間と空間の全てを飲み込んだ因縁の塊です。我々の中に全ての先祖がいます。われわれのなかに全ての命がいます。

その意味では我々一人ひとりが心のレベルを上げなければ先祖も成仏できないし世の中もよくならないのではないかとふと思うことがあります。
福聚講でも先祖供養をおこないますが、このような先祖供養を切れ目なく行うことも大切なのです。

我々自身が中途半端な存在ですからこれでいいということはありません。
われわれの修行も先祖供養もエンドレスに必要と感じています。
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