福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秩父三十四所観音霊験圓通傳 秩父沙門圓宗編・・6/34

2023-10-06 | 先祖供養

 

第六番萩の堂 向陽山卜雲寺、御堂四間四面南向。本尊聖観音、一尺二寸(約36㎝)行基菩薩御作。

此靈像は往時わつ゛かなる艸庵に安置し奉りし。其地や山聳谷深くして、春来れども客の到る事なく、秋至れども月に叫ぶ猿の聲のみして、松菊結で三径の跡を埋み(陶淵明「帰去来辞」「三径荒に就けども、松菊猶存す」)、誠に狐禅面壁の佳境なり。一人の禅客あって多年此地に居をしめ、禅定を出ざる事茲に六春秋、日夜只疑団を抱て工夫するのみ。一日庭前に向て公案を工夫する處に、誰ともしれず一首の和歌を詠ず。其歌に曰、

「初秋に風吹むすぶ 萩の堂 宿假の世の 夢ぞさめける」

斯の詠吟ずる事四五反なり。禅客此歌を聞く時、忽ち多年の疑晴れて、佛語祖語一時に透徹す。誠に観自在尊も耳根得道の大士、聞思修より三昧に入給へり。我今此詠歌を聞て、疑氷忽に解け豁達自在を得る事、併大士の

霊威なりと、件の歌を聞へたる庭前一株の萩の下に至て見れば、先に聞へたる和歌一紙の短冊に書けるを得たり。禅客歓喜踊躍して則是を納めて、此萩の下露うちはらひて、形の如く小堂を作りて、靈像を安置し奉しぞ、此寺の艸創なりける。其後、霊感あまた重なれば、年月を經るに従ひ。殿堂周備して今日の繁栄に至る。されば此禅客和歌の吟詠を感じて大悟せし事、其人にあらずんば知るべからずと雖も、暫く詠歌の意を明さば、初秋に風吹くすぶと萩に云かけたるは、古歌に引きよせて結べば柴の庵なりと讀ると同意なり。能因の、「仮の世に亦旅ねして假枕、夢の中にも夢を見る哉」と詠じ、近世宗祇法師の發句に「世に經るもしばし時雨の舎り哉」(『新撰苑玖波集』巻二十に「心敬 応仁のころ、世のみだれ侍りしとき、あづまにくだりてつかうまつりける

雲はなほさだめある世の時雨かな(心敬)

おなじ比、信濃にくだりて時雨の発句に 宗祇

世にふるやさらにしぐれのやどりかな」)とありても、時世各殊れども同意の詠なり。達人の詞、神佛の御心に一致せる處貴からずや。初秋の風そよぐ萩の葉にしばし露のおけるより、仇なる人間世なりと無常迅速の理を示し給ふ詠歌なれば、能々吟じ味はえば、必ず假の世の妄夢驚覚る時節あるべし。常に忘るべからず。無常迅速の理は誰も知りたる事ながら、誠にしかと心がくる程の人まれなり。新千載集に雅成親王(13世紀・後鳥羽天皇の皇子)「夢の世を餘所になしては 驚けど 心の覚あかつきもなし」と讀給ひしぞ、最殊勝なる御心ばへなれ。西行の曰く、「あはれ深き御法を知る迄の心は侍らずとも、無常を恒に忘れぬ程の志を佛のつげ給 はりて、吾身をさし放て思をとゞめて後の世のつとゝし侍らばやと(撰集抄(作者不詳で、西行に仮託)巻六第十二話 「三滝上人於庵室値道心者事」に「あはれ、深き御法(みのり)を知るまでのさきらは侍らずとも、無常を常に忘れぬほどの心を、仏の付け給はりて、わが身をさしはなちて、思ひをとどめて、後世のつととし侍らばや。高野の大師の御言葉に、「曲れる蓬、麻にまじはれば、ためざるに自然に直る」といへり。まことなるかなや・・」)、亦鎭西の聖光師の浄土宗の大意は、 念死念佛にありとの給へるも等く(聖光『念仏三心要集』に「念死念仏常途用心、已上、師の仰せ当に意得べし」)、是無常を觀ぜよとの教へなり。貴となく賤となく、何れも風吹結ぶ 荻の葉に宿かる身ぞかし。穴かしこ。暫も忘る事なかれ。(秩父三十四観音霊験圓通傳巻第一終)

 

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