福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秩父三十四所観音霊験圓通傳 秩父沙門圓宗編・・5/34

2023-10-05 | 先祖供養

 

第五番ごかの堂 小川山語歌寺、御堂五間、四面東向、本尊準泥(ママ)観音、座像御長九寸一分(約37㎝)慈覚大師御作

當時造立の大檀那は、此所の長、本間孫八と云人なり。深く大師の高徳を信じ、彫刻の尊像を當處に安置し奉らんと、資財を喜捨して堂宇を営み、日夜恭禮に奉る。孫八かかる信心厚き男なれば、三寶諸天の護念にや、家畜昌へて近里遠境其徳をしたひ其名高し。天さがるひなに生れくりと雖も、鋪嶋(しきしま)の道に意をよせ、和歌の浦に思を運ぶ。一日旅人来て此堂に通夜し、夜すがら孫八と和歌の奥義を談じ、鶏鳴に至て聖徳太子片岡山の化人と贈答の和歌を講じ、因に祖師西来の本旨を示し(『日本書紀』等に「片岡山伝説」として載っている話で、太子が片岡を遊行していた時に、道に倒れている飢人に飲食と自らの衣を与えて、「しなてる 片岡山に 飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人(たひと)あはれ、親無しに 汝(なれ)生(な)りけめや さす竹の 君はや無き 飯に飢て臥せる その旅人あはれ。」とうたいますが、飢人は実は達磨大師であったという話。)、東の岑のひなとしらむ頃、忽其人の姿を失す。孫八歓喜して則ち御堂を語歌堂と名つ゛く。是必歌道を語りし旅人は、救世大士の應化なる事を示さんがためなり。一には単傳直指の教化(直指単伝。禅宗では師匠から弟子に仏法が端的に授受されること)に依り、大悟せしに依て悟歌の堂と號せしとも云。何れも古来の傳説にして其是非はかり難しと雖も、悟語の字、二つながら其理あり。更に得失あらず。見る人の用捨に任かせたり。此後數回の甲子を經て、御堂漸く廃壊に至る頃、信濃國の片山陰に一人の老女あり。綿を作て世渡るたすけとせり。娘一人を持せり。世路のけはしきを經る苦も、此娘が生長事を思ふに紛れて年月を經しに、或時此娘何地ともしらず失ぬ。老女大に驚き、狐狸の所業にやあるらん、抑亦盗賊人買とかや云者の奪ひ取しにやと心そぞろにうかれ出て、此處彼處尋求むれ共似たる音信だになければ、母きみの力も弱はり果て、立よらん陰と頼し椎か本の空き床に歎き暮らしけるが、宿縁の催す處か、不圖思出て観世音に頼をかけ、大慈大悲誓願あやまり給はじ、吾迷子に遭せおはしませと、涙ながらに庵を立出で、臼井峠のうすきぎ契りにと、かこちわびつつ遥々と此里迄さまよひ来りしが、日くれて借るべき舎もなければ、夏艸の茂みが下に倒れ臥て暫くまどろむ處に、後に聲ありて呼事頻りなりしかば、あはや尋る吾子の聲よと、がばと起き上れば、光明かくやくとして忍辱慈悲御衣の下に、迷子を覆隠し給ひて、尊容忽然として現じ給ひ、汝が愛子大魔高津鳥(天狗)の災に罹りて暫く苦しみ、汝切に吾を祈に依て、吾れ二十八部衆に命じ、取反して汝に與、猶信心おこたる事なかれと、娘を姥にあたへさせ給ひ、御姿忽かきけしてうせさせ給ひぬ。母子悦の涙と、木曽の麻衣袂も朽ちぬべくおもほへたり(「麻衣(あさぎぬ)」は「木曽」の枕詞)。斯て夜もすでに明けぬ。里人来て始終の物語を聞て、各奇異の思をなし、一時に闔境(こうきょう・領内残らず)来り集り、本尊の靈瑞今更云に及ばずと雖も、かかる不思議を見る事よと菩薩の玅智力を歎じ、各老女を本願主として御堂再興の事を計、不日に落慶して殿堂荘厳忽ち𦾔時の観に復しぬ。是より當寺の本尊を俗呼で子反の観音と號す。詠歌に曰、

「父母の恵みも深きごかの堂 大慈大悲の誓たのもし」

當寺の詠歌、註するに及ばず,之を略す。

 

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