福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国88カ所お遍路の旅 その三

2015-08-08 | 講員の巡礼(お四国他)ほか投稿
四国88カ所お遍路の旅 その三

巡礼の旅もいよいよ高知県に入る。土佐は 修行の道場といわれ、第24番札所最御崎寺から第39番延光寺まで16の霊場がある。面積が広いわりに、札所が16ヶ所しかないので、寺と寺の間の距離が長い。

 阿波最後の札所・薬王寺から、土佐最初の札所・最御崎寺まで、77キロ余り。歩き遍路にはとてもきつい行程。しかし私たち巡礼一行は、歩き遍路と違ってバスで海岸線を走る。青い海、国道55号を挟んで連なる山々の深い緑と、大きく広がる空の青さなど、心が洗われるような景色がつづく。更に海沿いの道を進んでいくと、遠くから見てもお大師さまの姿とわかる巨大な像が出現。「青年大師像」で、昭和59年に大師信者や一般の方々の寄進によって建立されたと言う。約1,200年前、19歳の若き弘法大師が修業の場として選んだのが室戸岬 。

 

 近くの海岸に迫る岩山に洞窟が二つあり、右側が大師が修行をした神明窟、左側が寝食した御厨人窟。 「御厨人窟」の中は、岩で囲まれた空間で、湿気が強い。目が慣れてくると、お大師様が座って修行された一段高い岩畳がある。光が海側の入り口から差し込むが、奥までは届かない。黒く縁取られた洞窟の入り口から見える、海と空は青く光り輝いて極楽のよう。「空」と「海」のみの風景だったことから、「空海」と言う法名を得たとされる。御厨人窟の中は波の音が響き、自然の響きは心を和ませる。御大師様の修行されたところを間近に見て心が踊り、元気でここまで来られたことを感謝。

 <参考> 洞窟の中で、風雨を凌ぎ、修行に励む青年・空海。延暦11年(792)、弘法大師19歳のころとされている。この詳細は、大師が24歳のときの撰述『三教指帰』に次のように記されている。「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」

 土佐最初の霊場「最御崎寺」は、第26番金剛頂寺を西寺と通称するのに対して東寺と呼ばれる。

 第二十四番札所「最御崎寺」東寺  
 ご本尊:虚空蔵菩薩
 開基 :弘法大師

  
  
「御厨人窟」近くの「室戸スカイライン」をバスで登ると、海が大きく広がり、お天気がよいこともあって青い海と、白い雲の漂う空が目に飛び込んでくる。すぐに「修行の道場」とされる土佐最初の霊場「最御崎寺」。太平洋の白い波涛が光る室戸岬の突端に在る。歩き遍路の人々は、険しい登りの山道を行く。バス路のスカイラインを登るお遍路姿の人も見かけたが、こういうときは何時も歩き遍路されている方々に頭が下がる。本堂、太子堂で納経。 境内に置かれた「鐘石」は、空海の七不思議の一つと呼ばれる石。硬い石質安山岩で上部にいくつもの丸い窪みがあり、叩くと、鏡のような音が響く。この音は冥土まで届くといわれている。

 第二十六番札所 「金剛頂寺」西寺 
 本尊 : 薬師如来 
 開基 : 弘法大師

 

 西寺は、最御崎寺(東寺)から10キロほどの「行当岬]にある。海岸沿いに西北に向かう。海の青さが続く。「行当岬」の頂上には、原始林の椎に覆われて静寂さがただよう金剛頂寺。椎の林は寄生植物「やっこそう」の自生地として県の天然記念物となっている。駐車場からすぐの石段の先の 山門の両脇には大わらじが在る。門を潜ると正面に緑に囲まれた本堂、左に大師堂、大師堂の前には、大師が炊いた米が一万倍に増え、人々を飢えから救ったという伝説のある釜が保存されている。

 本堂、太子堂で納経。読経をしていると、日頃忘れていた、すべてのものへの感謝の心や、生かされている思いや、仏様に見守られて存在しているちっぽけな自分が見えてくる。透明な気持ちで境内を見渡せば、白衣のお遍路さんの姿が目に入る。遠い過去からこの日までの、数多のお遍路さんの姿が脳裏をよぎる。同じ空間に来られたことに感動。本堂の脇には校倉造りの霊宝殿が建つ。ここから見下ろす太平洋は、荒波が岩に砕けてしぶきが高い。室戸岬を望む絶景で土佐の捕鯨の発祥の地と言われる。境内に鯨の博物館がある。鯨の霊を慰めるために、檀家の一人が寄進。このお寺に来るのがとても楽しみだった。講元の高原師が2回目の四国お遍路旅の時に、ご住職との知己を得られ、そのご縁で、ご住職より東京でご法話を聞かせて頂いた。この金剛頂寺は期待どおりの由緒ある落ち着いたお寺であった。

阿波路では、第19番立江寺が第1の関所寺であったが、土佐の遍路(修行の道場)の関所寺は27番「神峯寺」である。 

 第二十七番札所 「神峯寺」
 ご本尊:十一面観世音菩薩  
 開基: 弘法大師

  

 寺へは、海抜0mから430mの山頂まで一気に登る参道がある。最後の1キロ半は「まっ縦」と呼ばれる勾配のきつい急坂で、歩き遍路には厳しい登り路だが、私たち一行は中型バスでいく。駐車場から木々に覆われた山路を歩く。途中山路から分かれて長い石段を上がって行く。石段の両側には樹齢数百年の古木。山門を潜ると、境内が広がる。青々とした木々の生気が境内をおおい霊気が漂う。木々を伝う爽やかな風の中に、自然の命とありがたさを感じる。更に石段を登ったところにある本堂、太子堂で納経。幕末のころ、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、20km離れた家から急な坂道を21日間(三七日)日参し、息子の出世を祈願した話は、いまも伝わっている。縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201〜69)の世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。

< 関所寺・せきしょでら>
四国の各県ごとに関所寺が一ヶ所あり、それぞれが県で一番の難所となっている。徳島県は19番「立江寺」、高知県は27番「神峰寺」、愛媛県は60番「横峰寺」、香川県は66番「雲辺寺」と定められている。
つづく

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