福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秩父三十四所観音霊験圓通傳 秩父沙門圓宗編・・26/34

2023-10-26 | 先祖供養

 

第二十六番 下かげもり 萬松山圓融寺。御堂三間四面南向。

本尊聖觀音 立像御長五寸七分(17㎝) 恵心僧都御作

抑當山は空を凌ぎ雪を挿む高山林木合抱、秩郡に標たり。其道羊腸枝をよぢ岩根を踏で登る。檜ばらの 奥いと闇きに漏來る月日の影を便り、とくとくの雫に渇を助て、仰て石上に踞すれば月宮の桂も折べく 伏て深谷をのぞめば金輪の際も量りつべし。南は武甲山に隣り、西の方龍河山に向ふ。尚某奥の院に至れば、東の方四萬部、木戸原も遠からず。北は影森、熊木の秋色極つべし。此處に愛宕大權現を勸請し て當山鎭護の神と崇。すべて此あたりの岩竇石壁に諸佛の像の立給へる、其數を不知。風雨を覆のまふけなけれど、尊要の荘巌はすこしも損ぜす、面容笑るごとし。是必ず高野大師以下の代々の大徳、此山 の箜寂清浄を尊み、登山の折から各彫刻し給ふ處成べし。經にも入於深山思惟佛道と説給ふ。仁者は山を樂むとも云て(論語・蕹也篇「子曰く、知者は水を楽(この)み、仁者は山を楽む。知者は動、仁者は静。知者は楽しみ、仁者は寿もてす」)、内外の二典閑寂を愛せずと云事なし。世尊の鷲嶺。迦葉の鶏足(經律異相「迦葉結法藏竟入鷄足山待彌勒佛」)、文殊の五臺(佛頂尊勝陀羅尼經「佛頂尊勝陀羅尼經者。婆羅門僧佛陀波利。

儀鳳元年從西國來至此3漢土到五臺山次。遂五體投地向山頂禮曰。如來滅後衆聖潜靈。唯有大士文殊師利。於此山中汲引蒼生教諸菩薩」。)、觀音の洛山(如意輪陀羅尼經 「聖觀自在所住補陀落山」)、南岳の大蘇(南嶽思大禪師立誓願文「一百二十二年在光州境大蘇山中」)、天台の花頂(天台大師は、天台山の最高峰「華頂峰」で修行)、傳教の北嶺、弘法の南山、何れか閑静なるの地ならざるや。山上に登るを禪定と云も、禪とは具には禪那、此に思惟修と云、又は静慮と云。閑寂の深山に登りて佛道を思惟 するが故にしか云。されば當山いまだ開闢せざる古へ、弘法大師諸州を遍路し給ふ時、此處必ず佛法流 布の霊地たるべしと、岩のはざまに檀をかまへ三七日秘法を修し給ふ。満ずる日紫雲たなびき異香薫じ 觀音現來し給ひ、善哉空海此地必ず霊場たるべし、後一人の大徳來て吾形を彫刻すべし、其時亦現來せんと、佛勅をはつして紫雲に乗じ、西の空に隠れ去り給ふ。大師御跡を拜して當山の佛法繁昌のため、岩竇を封じ心印を結で加持し給ひ、此地を去て他方に赴き給ひ、其のち恵心の先徳、佛の告に依て此山に到りたまひ、其境の閑なるを愛し、岩窟に至て見給ふに、洞中より光明山林も輝くばかりになりて、大悲の聖容現給ひ、大徳此地に至るを侍つ事久し、吾が形を寫して此地に安置すべしと曰。僧都拜し奉る處の聖容に一點もたがはず彫刻し給ひ、巌の上に安置し給へば、來現の尊容大光明を放ち彫刻の像を照し給ふ。僧都感涙を止めかねて禮拜恭敬まします間に、來現の聖容直忽に見へさせ給はず、此に於て里人に命じ、小堂を建安置し給ふ。先徳亦此地を去て横川に皈らせ給ふの後、星霜を經て當國の住人秩父別當武基が玄孫、秩父太郎重弘此尊を信じ奉て、堂舎再興の大檀那と成ぬ。其子重能、其孫重忠、代々此尊を信じ奉る事他に異なりき。佛國禪師(13世紀。御嵯峨天皇の第3子。無学祖元などに学び、建長寺の14世の住持)亦此地の寂たるを悦び、禪定に入給ひしかば、本尊屡現給ふと ぞ。今も禪師の座し給ひし座禪石、大師の護摩檀石など境内に現存せり。詠歌曰、

「尋入むすぶ 清水の岩井堂 心の垢をすすがぬはなし」

此歌の意は、當山の空寂清浄は般若の肝心、諸大徳此の山に尋入心の垢をすすぎ給はざるはなし、末代の人を勧進したる詠也。亦此山と武甲山の谷を流れ落て、一所となる清水あれば、むすぶ清水と讀り。此清水病を治する徳有とて、里人は異例の事あれば、必ず来て此水を結び薬を服すと云へり。詠歌に云へる如く、佛の道に尋入なば、彌陀心沐身頂(「彌陀の心水、身頂に沐す」往生礼讃にあり)、必ず清水に煩悩妄想の垢をすすぎ、洗心甘露水とも名付べき霊水にこそあれ。以上。

 

 

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