真言安心小鏡 天盧懐圓(真言宗安心全書によれば「阿州板野郡瑞川院中興。伝記不祥。慈雲尊者の弟子。文政八年十二月十九日寂。住世満八十。僧夏六十九。平生禅観に思いを致し人の来り問ふものあらば専ら光言念誦を勧む。道徳を慕ひ風化に靡くもの甚だ多し。その著書「真言安心小鏡」の外未刊の書少なからず。今尚瑞川院蔵中にありといふ。」)
安心小鏡正宗上巻
「夫れ真言陀羅尼は一切如来の真実本願神変加持不思議の法なり。故に上は即身成仏より、下は世間の悉地にいたるまで、願として満ぜずといふ事なし。されば高祖大師は像法の末に即身成仏して清涼殿に忽ち仏身を現じ給ひ、高野山に永く肉身を留て五十六億七千万歳の暁を待ち、無佛世界の衆生までも済度せんと無比の大誓願を発して、としになへに天下国家を鎮護し、処処に分身化現して種々の利益をなし給ふ事、限りなし。それより以来、末法にいたりても、高野の如法上人は生身白昼に兜率天に登りたまひ、(高野春秋に「久安元年四月十日、如法帰住上人、壇上三会暁松より登天・・」とあり)また廣澤の寛朝僧正も肉身を転ぜずして登天し給ひ、(「京羽二重織留」に「登天石、大沢の東、廣澤の西山の上に在り。遍照寺開祖寛朝上人ここより登天すといふ」)、また醍醐寺の元杲僧都も空にのぼりて西をさして飛び去り給へり。其の後、琳賢阿闍梨、興教大師等、遁証の跡を露し給へる古徳(琳賢は高野春秋に「(久安六年)八月十四日、前検校琳賢阿闍梨、定印を結び弥陀を唱へ坐化し全身舎利と成畢矣。(一本傍注云、今に現存すとは、五十八年後、承久元年後鳥羽、幸山の時也。)。覚鑁は密教大辞典に「密厳院に衆徒乱入し尊者の定躯を屠らんとせり。尊者時に不動明王の三昧に住して動かず。・・(円明寺西廂にて葬儀の時)、融源(覚鑁の親族で覚鑁尾弟子)棺前に理趣経を誦するに、第二段に至り棺中より声有りて「時薄伽梵」の首句を唱ふ。乃ち融源これに和し段々是の如し。故に根嶺の風この首句を略するを習となす。之を金棺相承の秘事と称す・・」)
我朝に多からずとせず。嗟乎、徳を蘊み光を和して其の証位を顕はさざる人、古今いくばくぞや。さりながら是は信行兼ね備へたる上根の緇流(僧)なれば下根劣慧の在家の企ておよぶべきにあらず。在家はただかかる不思議の真言に結縁し奉る事のうれしさよと随喜の信心をこらし、其信心の功徳によりて浄土に往生せんことを願ふべし。
今劣恵の在家の為に聊か経軌の文を摘んで略其意を述ば、それ往生は唯一真言のみありがたきのみにて決定なり。ありがたきのみにて決定とは真言に不思議の功力ある事を疑ず、ありがたく思ふ真実心だにあらば君は天下国家を治めながらに、臣は君につかへながらに、士農工商は士農工商の職を勤めながらに、容易く往生を遂ること、喩へば蠅の虎の尾に付て千里に行くがごとし。是一切如来の真実本願神変加持不思議の故也。真実本願神変加持不思議とは、不空羂索経に十方一切如来毘盧遮那如来各各右手を伸べて清浄蓮華明王の頂を摩て、光明真言を説て、明王に灌頂し給ふと説くが如き是也。(不空羂索神變眞言經「爾時釋迦牟尼如來。即伸右手摩清淨蓮華明王頂。時十方三千大千諸佛世界。大地山林六變震動。大海江河一時涌沸。量虚空中所有十方一切刹土。過現未來一切如來。毘盧遮那如來應正等覺。一時皆現同聲讃釋迦牟尼如來曰。善哉善哉。如是灌頂甚爲希有。我等十方一切刹土。三世一切如來。毘盧遮那如來。亦同授與清淨蓮華明王灌頂三昧耶。爾時十方一切刹土。三世一切如來毘盧遮那如來。一時皆伸右無畏手。摩清淨蓮華明王頂。同説不空大灌頂光眞言曰・・」)
明恵上人この文を釈して、一切如来右の手を伸て此の菩薩の頂を撫でて此の真言を説いてこの菩薩に灌頂を輿ふるは即ち一切衆生に灌頂を輿ふるなり。灌頂を輿ふるといふは則ち一切衆生に此の真言を授けて五智の種を結ばしむるなり。この加持方便の力に依るが故に、一切衆生此の真言法に値遇するなり。然れば此の真言を誦するに功徳を得ずといふ事は決定してあるべからず、との給へり。(「不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言句義釈 (明恵上人)」に「・・この毘盧遮那如来大智大悲不空大印の為に印せらるるところの故に、この三不善根の汚泥の中においてすなわち如来の無量の功徳を印現す。このゆえに衆生わずかに名字を聞かばすなわち如来の加持を得、ないし草木土砂を呪すれば即ち佛徳を印現するなり。」)。
上人は文殊菩薩より直に光明真言七種の印を授かり給ふ程の行徳不思議の高僧なれば、其のの給ひし事、仏説に等しくたつとぶべし。(「栂尾明惠上人七種印口伝 中性院頼瑜記」に「一、光明真言一明七種ノ印ハ 上人栂尾ニ於テ大聖文殊菩薩ニ従テ直ニ之ヲ受ク」)
実に末代鈍根の衆生無戒無行にして少しの善根功徳もなく剰え諸悪行を造り種々の重罪を積ねれば、いかに悔悟の心を発すとも、中々悪趣を脱れ浄土に生ずべき理はなけれども、かかる不思議の加持方便をもってたすけ給ふ仏恩の忝き事を取るに物なし。
安心小鏡正宗中巻
「されば復、不空羂索経に、是の如くの陀羅尼三昧地を一たび耳に経れば、亦當に西方極楽刹土に往きて、阿弥陀仏の前に蓮華より化生せんと説きたまひ、(不空羂索神變眞言經「聽誦不空羂索心 王陀羅尼三昧耶 而便増踰世間壽 住七十二百千劫 遊行常得不空王 神通解脱寶蓮引 念念證諸陀羅尼 種種悉地三昧耶 世尊此藥神通。等於如來出世成就世間之法。其藥置壇護祐陰乾。若有佩者。如佩諸佛舍利制多。亦如觀世音親守護持。滅諸重障。當捨命後往於淨土。住不退地蓮花化生。」)、また楞厳呪(長いので省略)・大随求(オンバラバラサンバラサンバラ インヂリヤビシュダニウンウンロロシャレイ ソワカ )・尊勝(ナウボバギャバテイ・タレイロキャ・ハラチビシシュダヤ・ボウダヤ・バギャバテイ。タニャタ・オン・ビシュダヤ・ビシュダヤ・サマサマサンマンタ・ババシャソハランダギャチギャガナウ・ソハバンバ・ビシュデイ。アビシンシャトマン・ソギャタバラバシャナウ・アミリタ・ビセイケイマカマンダラハダイ・アカラアカラ。アユサンダラニ・シュダヤシュダヤ・ギャギャナウビシュデイ・ウシュニシャビジャヤ・ビシュデイ・サカサラアラシメイ・サンソジテイ・サラバタターギャタ・バロキャニ・サタハラミタハリホラニ・サラバタターギャタ・キリダヤ・ジシュタナウ・ジシュチタ・マカボダレイ・バザラキャヤ・ソウカ・タナウ・ビシュデイ・サラババラダ・バヤドラギャチ・ハリビシュデイ。バラチニバラタヤ・アヨクシュデイ・サンマヤ・ジシュチテイ・マニマニマカマニ。タタータボタクチ・ハリシュデイ・ビソホタ・ボウジシュデイ・シャヤシャ・ビジャヤビジャヤ・サンマラサンマラ。サラバボダ・ジシュチタシュデイ・バジリバザラギャラベイ・バザランババトママ・シャリラン・サラバサトバンナン・シャ・キャラハリビシュデイ。サラバギャチハリシュデイ・サラバタターギャタシッシャメイ・サマジンバサエンド・サラバタターギャタ・サマジンバサ・ジシュチテイ・ボウジヤ・ボウジヤ・ビボウジヤ・ビボウジヤ・ボウダヤ・ボウダヤ・ビボウダヤ・ビボウダヤ・サンマンダ・ハリシュデイ・サラバタターギャタ・キリダヤ・ジシュタナウ・ジシュチタ・マカボダレイ。ソワカ。)・寶筐印(のうぼう ばぎゃばてい たれいろきゃ はらち びししゅだや ぼだや ばぎゃばてい たにゃた おん びしゅだや びしゅだや あさんま あさんま さんまんだ ばばしゃ そはらんだ ぎゃちぎゃかのう そははんば びしゅでい あびしんじゃとまん そぎゃた ばらばしゃのう あみりた びせいけい まかまんだらはだい あからあから あゆさんだらに しゅだやしゅだや ぎゃぎゃのう びしゅでい うしゅにしゃ びじゃや びしゅでい さかさら あらしめい さんそじてい さらばたたぎゃた ばろきゃに しゃたはらみた はりほらに さらばたたぎゃた きりだや じしゅちたのう じしゅちた まか ぼだれい ばざらきゃや そがたのう びしゅでいさらばばらだ どらぎゃち はりびしゅでい はらちに ばりだや あゆくしゅでい さんまや じしゅちてい まにまに まかまに たたたぼだくちはりしゅでい びそぼだ ぼうじゅしゅでい じゃやじゃや びじゃや びじゃや さんまらさんまら さらばぼだじしゅちた しゅでいばじりばざらぎゃらべい ばざらん ばんばとまま しゃりらん さらばさとばなん しゃきゃや はりびしゅでい さらばぎゃち はりしゅでい さらばたたぎゃた しっしゃめい さんまじばさえんどう さらばたたぎゃた さんまじゅばさじしゅちてい ぼうじやぼうじや びぼうじやびぼうじや ぼうだやぼうだや びぼうだやびぼうだや さんまんだ はりしゅうでい さらば たたぎゃた きりだやじしゅちたのう じしゅちたまかぼだれいそわか)・寶楼閣陀羅尼(ノウマクサラバ タタギャタナン オンビホラギャベイベイ マニベイ タタギャタ ニヂャネイ マニマニソハラベイ ビマレイ ソギャラゴビレイ ムムジンバラジンバラ ボダビロキテイ グキャジ シュタギャラベイ ソワカ)等の聲を聞き、或いは見、或いは其の字を見、或いはこれを身に触る者もかならず悪趣を脱れ浄土に生ぜん事決定して疑あるばからずと。これらの経に広く利益を説き給るは皆是真言陀羅尼におゐて一念帰命の信、決定しぬれば諸仏不思議の願力をもって必ず往生を遂しめ給んとの御ちかひなり。殊更又羂索経に、若し諸の衆生具に十悪五逆四重の諸罪を造ること、猶微塵の斯の世界に満てるが如く、身壊し命終って諸の罪悪に堕せん、此の真言を以て土砂を加持すること一百八遍して屍陀林の中に亡者の屍骸の上に散じ或いは墓の上に散じ、遇ふもの皆これを散ぜば彼の亡ずるところの者、若しは地獄の中、若しは餓鬼の中、若しは修羅の中、若しは傍生の中にもあれ、一切不空如来不空毘盧遮那如来の真実本願の大灌頂光真言神通威力土砂を加持するの力を以て時に応じて即ち光明其の身に及ぶことを得て、諸の罪報を除き所苦の身を捨て西方極楽浄土に往きて蓮華に化生し乃し菩提に至る迄更に堕落せずと説き給へるは実に大慈悲深重の御本願、他力の中の他力なり。(不空羂索毘盧遮那佛大潅頂光眞言経に「おんあぼきゃべ いろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
毘盧遮那如來、爲めに母陀羅尼印三昧耶神法品を授けて、而かも最も第一となしたまふ。若し過去一切十惡五逆四重の諸罪ありとも燼然除滅せん。若し衆生ありて隨處に此の大灌頂光眞言の二三七遍を聞いて耳根に経るを得るれば、即ち一切罪障を除滅す。たとひ具に十惡五逆四重諸罪を造ること猶し微塵の如く斯の世界に満つるが如く、身壞命終して諸惡道に堕すとも、是の眞言を以て加持土沙一百八遍して尸陀林中の亡者の尸骸上に散じ、或は墓上に散ずれば、彼の所の亡者、若しは地獄の中、若しは餓鬼の中、若しは修羅の中、若しは傍生の中であろうと、一切不空如來・不空毘盧遮那如來の眞實本願の大灌頂光眞言神通の威力、加持沙土の力をもって、時に応じて即ち光明の身に及ぶことを得、諸の罪報を除き、所苦の身を捨て、西方極樂國土に往き、蓮華より化生し、乃至菩提に至りて更に墮落せざらん。」)
さればにや、高麗の元暁大師、遊心安楽道といふ極楽往生の文を作り給る中に、加持土砂の利益を挙げて、いかに浅ましく罪深き衆生なりとも真言加持の利益にて、もらさず救ひたまふ事を、念頃に勧め給へり(「遊心安楽道」「以是眞言加持土沙一百八遍。屍陀林中。散亡者屍骸上。或散墓上。遇皆散之。彼所亡者。若地獄中。若餓鬼中。若修羅中。若傍生中。以一切不空如來不空毘盧遮那如來眞言本願。大灌頂光眞言加持土沙之力。應時即得光明及身。除諸罪報。捨所苦身。往於西方極樂國土。蓮華化生。乃至菩提。更不墮落。」)
仏説・祖訓疑ふべからずに合わせて他宗の高僧たちのかく仰せられたる、信ぜずんばあるべからず。信ぜざるものはいたずらに仏の大恩を蒙りて報ずる日、轉遠し。信ずる者は速やかに四恩を謝して忠孝便ち立つ。心あらん人、誰かこれを信ぜざらん。若し夫れ土砂の利益を聞ん人、自宗他宗の差別なく、これを求めて六親眷属の墓所に散し、亦自らも頂戴して現世後世の守となすべし。たとひ今時、下劣の行者の加持なりとも諸仏の本願深重なれば、其の利益豈むなしかるべけんや。蓋し行徳殊勝の人の加持によっては一度墓に散らさんに地獄を出ずべからざらん人、行徳下劣の行者の加持を受けば、度々を重ねて罪業消えて出る程の事はありぬべし。下劣の人の加持なりとも即ち無病快楽の時より是を崇め憑をかけば彼の下劣の行者の加持を助けて上品の勝利を得べし。譬ばやはらかなる薪をあまた加ふれば其の炎熾んにもゑて堅き薪の炎と等しく物をやくがごとし。此事を思ふには在生より兼ねて信敬せば速疾の利益疑ふにたらず。設ひ百千の金を積むともいまだ土砂一粒の直にもしかず。これを得足らん人は如意宝珠を得たるが如くたっとぶべし。時末世におよんで餘の法の霊験はかくるとも、土砂の利益は益々あらたならんと。土砂加持勧進記に詳らかなり。(光明真言土砂勧信記「我等辺地小国のなか、末代悪世のすへに生まれて・・諸仏菩薩の慈悲方便・龍天善神の加被護念も皆過分のをもひをなし・・しかるにこの土砂の勝行にあへる宿縁まことにたのみあり・・」)
安心小鏡正宗下巻
「摂真実経を按ずるに一切有情放逸にして三宝を憎み嫌ひ、広く悪業を造りて當に三途八難の悪趣に堕べき。一切の餘法救ひ度する事あたはず。唯金剛界大曼荼羅無上の大法のみ有りて能救ひ護ると説き給ひぬれば(「諸佛境界攝眞實經」に「是等衆生。未曾見聞眞實妙法。入於邪見外道法中。而不修習諸佛梵行。彼諸衆生。廣造惡業作地獄因。一切餘法不能救度。唯有金剛界大曼陀羅無上大法。善能救護」)我らが如く浅間敷罪深き衆生は唯真言陀羅尼のみ能くたすけ給ふ外にたすかるべき法なしと思ひとりて、但一向に一真言を頼み奉るべし。且又光明真言・随求・准胝・如意輪の呪は浄不浄をも擇ばず常にこれを誦せよち仏祖の御ゆるしなれば、尤も在家の唱へやすき事ならずや。
(・「普遍光明清淨熾盛如意寶印心無能勝大明王大隨求陀羅尼經」に「若有書寫帶佩於身。常應誦持深心思惟觀行。能除惡夢不祥之事。一切安樂皆得成就」
・「佛説七倶胝佛母心大准提陀羅尼經」に「若有人能常自憶念。持此呪無量善根皆得成就」
・「如意輪陀羅尼經」に「此如意輪陀羅尼明。讀誦受持恒不間者。則此生中。證見色寂圓照神通遊戲智三昧耶。非但現世得大福利。亦於當生獲大功徳。」)
またそれ金剛頂経に、阿字は菩提心種智の本源、是一切の母也。十方三世の仏の法を称するに同じ。此れ性成の密言なり。三世の仏の法教えは皆広く此字を明せり。其の義説くとも究め難し、と説き給ひて、(「金剛頂經一字頂輪王瑜伽一切時處念誦成佛儀軌」に「阿字菩提心 種智之本源 是一切字母 十方三世佛 所説一切法 無非此字體 纔念即同稱 一切如來法 於眼觀此字 即能成天眼 餘四悉具足 諸根例可知 乃至於鐵石 安布諦觀念 能動及成金 此性成密言 三世佛法教 皆廣明此字 其義説難窮」)
阿字は一切経・陀羅尼・真言・念佛・題目の本体なるがゆえに阿字に勝りて尊き法なることなし。是阿字自然徳の故と諸仏加持力の故となり。阿字自然徳の故とは阿字は諸仏諸神一切衆生の命根にして天地法界の体性なりといふ事、両部の秘経雑部の密軌に広く説き給ふところなり。
(・大日経疏に「阿字は、一切語源の根本にして衆字の月なり。一切法教の本源なり」、「阿字本不生の理を悟るは如実知自心の義にして、一切智々なり(大日経疏)」・弘法大師の「悉曇字母并釈義」に「凡そ最初に口を開く音、皆阿の声あり、若し阿の声を離んぬれば即ち一切の言説なし。故に衆声の母となす。また衆字の根本となす」「阿字は是れ一切法教の本なり。乃至内外の諸教皆この字より出生す」。・覚鑁上人の「一期大要秘密集」に、「阿字は諸法本不生の義なり。妄念不生なれば浄法も不生なり心体も無為にして永く起滅せず、心海常住にしてすべて波浪なし」等。)
復諸仏加持力の故にとは、諸仏の衆生を護念し給ふ其の念力を阿字に加へ給ふを「加」といひ、阿字其の功徳を持たもちて不思議の利益をなすを「持」といふ。
故に大日経に此の阿字は一切如来の加持し給ふ所也と説き給ひ、又秘密主、是の一切の真言、我已に宣説せり、是の中の一切真言の心は汝當に諦かに知るべし、所謂阿字門なり。此の一切の諸真言の心を念ずるを最も無上と為す。是一切真言の所住なり。此の真言におゐて決定を得と、説き給ひぬれば、(「大毘盧遮那成佛神變加持經卷第二入漫茶羅具縁眞言品第二之餘」に「祕密主是等一切眞言我已宣説。是中一切眞言之心。汝當諦聽 所謂阿字門。念此一切諸眞言心最爲無上。是一切眞言所住。於此眞言而得決定。」)
常に専ら阿字を念ずべし。念じ易ふして其の功徳最も広大なり。されば復、光明真言は阿字の光明を説きたまひて一切の功徳を全備せる諸仏の真言なれば毎朝手水をつかふと、其の儘光明真言三遍誦へて其のありがき事をつねに忘れず、行住坐臥心にかけておもひ出せば自ら信心発起相続する事、譬へば梅を思へど津のでるが如し。且又閑暇あらん人は更に百遍二百遍乃至千遍の日課をも勤めて四恩法界に回向すべし。また夫れ寶楼閣経に、此の陀羅尼の名号を誦するに由りて則ち已に十方一切如来の名号を誦するになると説き給ひて、(「大寶廣博樓閣善住祕密陀羅尼經」に「金剛手由稱此陀羅尼名號。則爲已稱十方諸佛如來名號。若能纔念。則爲禮拜供養一切如來」)
わずかに光明真言と誦ふるに由りて則ち已に是の如く広大無辺なり。況や真言の一字一句を誦へ念ん功徳をや。されば信心相続の為には常に「唵阿謨伽おんあぼきゃ」の一句を誦へ、猶「唵阿謨伽」とも誦へがたき時は唯「阿謨伽」の「阿」を心の内にて誦へ念ずること最も是信心相続の肝要なり。下根劣恵の在家、此の外更に奥深きことを求めば、還て信心を乱り往生を取り失ふべし。往生は唯一真言のみありがたきのみにて決定也。此の意をよめる。
「往生ははや定まりぬうちまかせ 真の言の葉たのみぬるとき」
は、更に光明真言百遍二百編乃至千遍の日課をも勤めて四恩法界に回向すべし。但し真言陀羅尼は必ず授かりて誦へよとの佛制あれば、いまだこれを授からざる人は南無光明真言と唱へ念ずべし。真言陀羅尼の名号を唱る功徳は経軌に広く明らかなれども今其の一証を挙げ示さば、寶楼閣経に、此の陀羅尼の名号を称ふるに由りて則ち已に十方如来の名号を称ふるに為ると説きたまへり。実に唱へ易ふして其功徳亦広大ならずや。此の書はある人真言を授かりたる因に在家の信心領解の便になるべき事を請ふに任せて、経説伝記の意を取り、略ぼこれを記し侍る。名けて小鏡といふは常に懐にして折々見よとの意なり。
寛政乙卯五月 阿國 宮島山蔵版」