「仏の身は三つに分かれるが(法身・報身・応身)それはただ一つの事を成し遂げるためである。一つの事とはいうまでもなく人々を助けることである。(金光明経・仏教聖典)」
以下「金光明最勝王經・分別三身品」です。
金光明最勝王經・分別三身品第三
(大師の「金勝王經祕密伽陀第二卷三身品(分別三身品第三)」には「三身(法・応・化)不異なり 四德(常楽我浄)は圓融す 應化は別なし 法身は同なること有り 法如と如智と 寶の如く空の如し 三昧願力 四八無窮 大定・悲・惠 時に乗じて風を垂る 事は同じく意は一體鎔相通ず 日光月影 金身玉躬 他を益し幻現す」とあります。)
「爾時虚空藏菩薩摩訶薩、大衆中にありて座より起ちて偏袒右肩、右膝著地、合掌恭敬、頂禮佛
足し、上微妙金寶之花寶幢幡蓋を以て供養して佛に白して言さく「世尊よ、云何が菩薩摩訶薩は諸如來甚深祕密において如法に修行をするや」。佛言はく「善男子よ、諦聽諦聽。善く之を思念せよ。吾、まさに汝が為に分別解説せん。善男子よ、一切の如來に三種の身あり。云何が三となすや。一は化身、二は應身、三は法身なり。如是の三身具足して阿耨多羅三藐三菩提を攝受す。若し正に了知せば速に生死を出ん。云何が菩薩は化身を了知するや。善男子よ、如來は昔修行地中にあり一切衆生の為に種種の法を修す。如是に修習して修行滿つるに至る。修行力の故に大自在を得る。自在力の故に衆生の意に随ひ、衆生の行に随ひ、衆生の界に随ひ、悉く皆な了別す。時を待たず、時を過さず、處相應し、時相應し、行相應し、説法相應し、種種身を現ず。是を化身と名く。
・善男子よ。云何が菩薩は應身を了知するや。謂く諸如來は諸菩薩の通達を得んがための故に眞諦を説く。生死涅槃は是一味なるを了知せしめんがための故なり。身見の衆生の怖畏・歡喜を除かんが為の故に、無邊の佛法の本となるが為の故に、如實に如如(真如)と如如智(佛智)と相應す本願力の為の故に、是身を現ずるを得、三十二相・八十種好を具へ項背圓光す。是を應身と名く。
・善男子よ、云何が菩薩摩訶薩は法身を了知するや。諸煩惱等の障を除かんがための故に、諸善法を具せんがための故に、唯だ如如と如如智のみあるを、是を法身と名く。
前の二種の身(化身・応身)は是れ假名なり。此の第三身。是を眞實の有とす。前二身のために根本となる。何以故。法の如如を離れ、無分別智を離れ、一切諸佛は別法あることなし。一切の諸佛智慧を具足し、一切の煩惱は究竟じて滅盡し清淨の佛地を得る。是故に法の如如と如如智は一切の佛法を攝す。
復次善男子。一切諸佛は、自他を利益して究竟に至る。自を利益するは是れ法如如。他を利益するは是れ如如智なり。能く自他の利、之を益する事において而も自在を得、種種無邊の用を成就するが故に、是故に一切佛法を分別するに無量無邊の種種の差別あり。善男子よ。譬へば妄想に依止し思惟して種種の煩惱を説き、種種の業用を説き、種種の果報を説く。如是に法如如に依り、如如智に依り、種種の佛法を説き、種種の獨覺法を説き、種種の聲聞法を説き、法如如に依り、如如智に依り、一切の佛法は自在に成就す。是を第一不可思議となす。譬へば空に畫きて莊嚴具を作るは、是れ難思議なるが如し。如是に法如如に依り、如如智に依り、仏法を成就することも亦た難思議なり。善男子よ。云何が法如如と如如智との二は無分別にして自在を得、事業成就するや。善男子よ。譬ば如來の涅槃に入り願自在の故に種種の事業皆成するを得るが如し。法如如と如如智の自在事を成すも亦復た如是なり。
復次に菩薩摩訶薩、無心定に入り前の願力により禪定より起ちて衆事業を作す。如是の二法は分別あることなく自在に事成ず。善男子よ。譬ば日月に分別あること無きが如く、また水鏡に分別あることなきがごとく、光明に亦た分別なきがごとく、三種和合して影生ずること有るを得るがごとし。如是の法如如・如如智は亦た分別なし。願自在を以ての故に。衆生、應化身を現ずと感ずることあり。日月の影、和合して出現するが如し。
復次に善男子よ。譬へば無量無邊の水鏡は光によるがゆえに空影し、種種の異相を現ずることを得る。空とは即是れ無相。善男子よ。如是に化を受くる諸弟子等は是れ法身の影なり。願力を以ての故に二種身において種種相を現ず。法身地において異相あることなし。善男子よ、此の二身により一切諸佛は有餘涅槃を説く。此法身に依りて無餘涅槃を説く。何以故。一切の餘法は究竟盡くるが故なり。此三身に依りて一切諸佛は無住處涅槃を説く。二身のための故に涅槃に住せず法身を離れて別に佛あることなし。何故に、二身は涅槃に住せず、二身は假名不實にして念念に生滅し定住せざるが故に數數出現し不定なる故に。法身は爾らず。是故に二身は涅槃に住せず。法身は不二なり。是故に涅槃に住せず。故に三身に依りて無住涅槃を説く。善男子よ。一切の凡夫は三相のための故に有縛有障なり。三身を遠離して三身に至らず。何を三となすや。一は遍計所執相。二は依他起相。三は成就相。如是の諸相は解する能わざるが故に、滅する能わざるが故に、淨ずる能わざるが故に、是故に三身に至るを得ず。如是の三相は能く解し、能く滅し、能く淨むるが故に、是故に諸佛は三身を具足す。善男子よ、諸凡夫人は未だ此の三心を除遣すること能わざるが故に三身を遠離して至ることをうる能わず。
何者爲三。(以下、一の起事心(前六識)は諸の伏道によって滅し、二の依根本心(第七子識)は諸の断道によって滅し、三の根本心(第八識)は最勝道によって滅すとし、この三心が滅すれば順次に化身、応身、法身に至るとする。)一は起事心。二は依根本心。三は根本心。諸伏道により起事心が盡き、法斷道により、依根本心が盡き、最勝道により根本心が盡く。起事心滅するが故に化身を現ずるを得、依根本心滅するが故に應身を顯すを得、根本心滅するが故に法身に至ることを得る。是故。一切如來は三身(化身・應身・法身)を具足す。
善男子よ、一切諸佛は第一身において、諸佛と同事なり。第二身において、諸佛と同意なり。第三身において、諸佛と同體なり。善男子よ、最初の佛身は衆生の意多種あるが故に種種の相を現ず。是故に多と説く。第二佛身は弟子一意の故に一相を現ず。是故に一と説く。第三佛身は一切種相を過ぎて執相の境界に非ず。是故に説て不一不二と名く。善男子よ。是の第一身は應身によりて顯現を得るが故なり。是の第二身は法身によりて顯現を得るが故なり。是法身は是れ眞實にして依處なきが故なり。善男子。如是の三身は義有るを以ての故に常と説く。義有るを以ての故に無常と説く。化身は、恒に轉法輪し處處隨縁、方便相續し斷絶せざるが故に是故に常と説く。是れ本に非ざるが故に大
用を具足し、顯現せざるが故に説て無常となす。
應身は、無始より來た相續不斷なり。一切諸佛の不共の法能く攝持するが故に衆生盡くるなくば用もまた無盡なり。是故に常と説く。是れ本にあらざるが故に用を具足し、顯現せざるが故に説て無常となす。
法身は、是れ行法にあらず。異相あることなし。是の根本なるが故に猶虚空の如し。是故に常と説く。
善男子よ。無分別智を離れて更に勝智なし。法如如を離れて勝境界なし。是の法如如と是の慧如如と是の二種の如如は不一不異なり。是故に法身は慧清淨の故に、滅清淨の故に、是の二清淨なり。是故に法身は清淨を具足す。
復次に善男子よ、三身を分別して四種の異あり。化身の應身にあらざるあり。應身の化身にあらざるあり。化身にしてまた應身なるものあり。化身にあらず亦た應身にあらざるものあり。何者か化身にして應身にあらざるや。謂く諸如來般涅槃後に願自在を以っての故に隨縁利益する、是を化身と名く。何者か應身にして化身にあらざるや。是れ地前の身なり。何者か化身にして亦た應身なるや。謂く有餘涅槃に住するの身なり。何者か化身にあらず應身にあらざる。謂く是れ法身なり。善男子よ、是の法身は二無所有にして顯現する所なるが故に。何者か名て二無所有となすや。此の法身において相及び相處、二は皆是れ無なればなり。非有にして非無、非一にして非異。、非數にして非非數、非明にして非闇なり。如是の如如智は、相及び相處を見ず。非有・非無を見ず。非一・非異を見ず。非數・非非數を見ず。非明・非闇を見ず。是故に當に知るべし。境界は清淨、智慧は清淨にして分別すべからず。中間あることなし。滅道の本となるが故に此の法身において能く如來の種種の事業を顯す。
善男子よ、是身の因縁境界處所果は本による。難思議の故に。若し此義を了せば、是身は即是れ大乘、是れ如來性、是れ如來藏なり。此身に依り初心修行地の心を發するを得て、而も不退地心を顯現するを得。亦た一生補處心を現ずることを得る。金剛之心・如來之心、悉く顯現す。無量無邊の如來の妙法、皆悉く顯現す。此の法身に依りて不可思議摩訶三昧を得。此法身に依りて一切大智を現ずることを得。是故に二身は三昧に依り智慧に依り而も如此法身を顯現することを得る。
自體に依りて常と説き、我と説く。大三昧に依るが故に樂と説き、大智に依るが故に清淨と説く。是故に如來は常住にして自在・安樂・清淨なり。大三昧に依り一切の禪定・首楞嚴等・一切の念處・大法念等・大慈・大悲・一切陀羅尼・一切神通・一切自在・一切法平等攝受、如是の佛法は悉く皆な出現す。此の大智に依りて、十力・四無所畏(一切智無畏・漏永尽無畏・説障道無畏・説尽苦道無畏)四無礙辯(法無碍弁・義無碍弁・辞無碍弁・楽説無碍弁)・一百八十不共之法・一切希有不可思議法、悉く皆な顯現す。譬へば如意寶珠に依りて無量無邊の種種の珍寶が悉く皆な現ずるを得るが如し。如是に大三昧寶に依り、大智慧寶に依り、能く種種無量無邊の諸佛の妙法を出す。善男子よ、如是の法身三昧智慧は一切相を過ぎ、相に著せず、分別すべからず、常にあらず斷に非ず。是を中道と名く。分別ありといえども體は無分別なり。三數有りと雖も而も三體無し。不増不減にして猶ほ夢幻の如し。亦た所執なし。亦た能執なし。法體如如なり。
是の解脱の處は生死の境を過ぎ生死の闇を越ゆ。一切衆生は修行不能なり。至る能わざるところ、一切諸佛菩薩の住處なり。善男子よ、譬へば人ありて願ふて金を得んと欲し處處に求覓し、遂に金礦を得、既に礦を得已りて即便ち之を碎き精者を擇取し爐中に銷錬して清淨金を得、隨意に迴轉して諸鐶釧・種種嚴具を作る、諸用ありといえども金性はあらたまざるがごとし。復次に善男子よ、若し善男子善女人、勝解脱を求め、世善を修行し、如來及び弟子衆を見るを得、親近し已り、佛に白して言さく「世尊。何者か善となす。何者か不善、何者か正修して清淨行を得るや」と。
諸佛如來及び弟子衆は彼の問を見る時、如是に思惟す。「是善男子善女人は、清浄を求んと欲し、正法を聽んと欲す。即便ち爲に説きて其を開悟せしめん」と。彼既に聞き已り正念に憶持し發心修行して精進力を得、嬾惰の障を除き、一切の罪を滅す。諸學處において不尊重を離れ、掉悔心(五蓋に、貪欲蓋・瞋恚蓋・睡眠蓋・掉悔(じょうけ)蓋・疑蓋あり)をやめて、初地に入る。初地心に依り、利有情の障を除き二地に入ることを得。此の地中において不逼惱障を除き、三地に入る。此の地中に於いて心軟淨の障を除き四地に入る。此の地中に於いて善方便の障を除き五地に入る。此の地中に於いて見眞俗の障を除き六地に入る。此の地中に於いて見行相の障を除き七地に入る。此の地中に於いて不見滅相の障を除き八地に入る。此の地中に於いて不見生相の障を除き九地に入る。此の地中に於いて六通の障を除き十地に入る。此の地中に於いて所知障を除き根本心を除き如來地に入る。如来地とは三淨によるが故に極清淨と名く。云何爲三。一は煩惱淨。二は苦淨。三は相淨。譬ば眞金の鎔銷治錬し既に燒打し已り復た塵垢無きが如し。金性の本清淨なることを顯はさんが為の故に金體清淨となす。金なしと謂ふにはあらず。譬へば濁水の澄渟清淨にして復た滓穢無きが如し。水性もと清淨なるを顯はさんが為の故に。
水なしと謂ふに非ず。如是の法身は煩惱を離る。苦集除き已りて復た餘習なし。佛性もと清淨なるを顯はさんが為の故に。體無しと謂ふに非ず。譬ば虚空の煙雲塵霧の障蔽するところなるが如し。若し屏を除き已れば是の空界は淨なり。空なしと謂ふに非ず。如是に法身に一切の衆苦悉く皆盡くる故に、説きて清淨となす。體無しと謂ふに非ず。譬ば人ありて睡夢中において大河水に其身を漂泛するを見る。運手動足して流を截りて渡り彼岸に到ることを得る。彼の身心懈退せざるが故に夢より覺め已りて水・彼此岸の別あるを見ず。心なしと謂ふべからず。生死の妄想は既に滅盡し已れば是れ清淨を覚る。覺なしと謂ふに非ず。如是に法界一切の妄想は復た生ぜざるが故に説きて清淨となす。是れ諸佛其の實體なきなあらざるなり。
復次善男子よ、是の法身の惑障清淨は能く應身を現ず。業障清淨は能く化身を現ず。智障清淨は能く法身を現ず。譬へば空に依って電を出だし、電に依って光を出す如し。如是に法身に依っての故に能く應身を現ず。應身に依るが故に能く化身を現ず。性淨によるが故に能く法身を現じ、
智慧清淨は能く應身を現じ、三昧清淨は能く化身を現ず。此の三清淨は是れ法如如・不異如如・一味如如・解脱如如・究竟如如なり。是故に諸佛の體は異あることなし。善男子よ、若し善男子善女人ありて、如來において是れ我が大師なりと説き、若し如是の決定の信を作さば、此人は即ち深心に如來の身に別異あることなきを解了すべし。善男子よ、是の義を以ての故に、諸境界における不正の思惟は悉く皆な除斷し即ち知る、彼の法二相あること無く、亦た分別なく、聖の修行するところなりと。如如に彼において二相あることなし。正修行の故に、如是に如是に一切諸障は悉く皆除滅す。如如に一切障は滅す。如是に如是に法如如・如如智は最清淨を得る。如如に法界の正智は清淨なり。如是に如是に一切は自在なり。具足攝受し皆な成就を得る。一切諸障悉く皆な除滅す、一切諸障清淨を得る故なり。是を眞如正智眞實の相と名く。如是に見る者、是を聖見と名く。是れ則ち名て眞實の見佛と為す。何以故。如實に法眞如を見ることを得るが故なり。是の故に諸佛は悉く能く普く一切如來を見る。何以故。聲聞獨覺は已に三界を出、眞實の境を求むるも知見すること能はず。如是に聖人の知見せざるところ、一切の凡夫は皆な疑惑・顛倒・分別を生じて得度すること能はず。兎の浮海して必ず過ぐること能はざるがごとし。所以者何。力微劣なるが故なり。凡夫の人も亦復た如是なり。法如如に通達すること能わざるが故に。然るに諸如來分別心なし。一切法において大自在を得、清淨深智慧を具足するが故に、是の自境界は他と共にせざるが故に、是故に諸佛如來は無量無邊阿僧祇劫において不惜身命、難行苦行、方に此身を得て最上無比なり。不可思議なり。言説の境を過ぎたり。是れ妙寂靜にして諸怖畏を離る。
善男子よ、如是に法眞如を知見する者は、生老死なく壽命無限、睡眠あることなく、亦た飢渇なく、心は常に定に在って散動あることなし。若し如來に諍論心を起こさば是則ち如來を見ること能はず。諸佛の所説は皆能く利益す。聽聞することある者は解脱せざるなし。諸惡禽獸惡人惡鬼、相逢値せず。聞法によるが故なり。果報無盡なり。然るに諸如來は無記の事なし。一切の境界に欲知心なし。生死涅槃異想あることなし。如來の所記に決定せざるなし。諸佛如來は四威儀中、智攝にあらざるなし。一切諸法は不爲あることなし。慈悲の所攝は爲さざるあることなく諸衆生を利益安樂にす。
善男子よ、若し善男子善女人ありて此金光明經において聽聞信解せば、地獄餓鬼傍生阿蘇羅道に堕せず。常に人天に処し下賤に生ぜず。恒に諸佛如來に親近し、正法を聽受し、常に諸佛清淨國土に生ず。所以は何ぞ。此の甚深法を聞くことを得るによる故なり。是の善男子善女人は則ち如來のために已に知られ已に記せられ當に不退阿耨多羅三藐三菩提を得べし。若善男子善女人。此の甚深微妙之法において一たび耳に經る者は當に知るべし是人は如來を謗せず、正法を毀らず、聖衆を輕んぜず、一切衆生の未だ善根を植えざる者に種うるを得しむが故に、已に善根を種るものには増長成熟せしむるが故に、一切世界のあらゆる衆生に皆勸めて六波羅蜜多を修行せしむ。」
爾時、虚空藏菩薩・梵・釋・四王諸天衆等、即ち座より起ちて偏袒右肩合掌恭敬頂禮佛足して佛に白して言さく、「世尊よ、若し所在の處に、如是の金光明王微妙經典を講説せば其國土において四種の利益あり。何者爲四。
一は國王軍衆強盛にして諸怨敵なし。疾病を離れ壽命延長にして吉祥安樂、正法興顯せん。
二は、中宮妃后王子諸臣和悦無諍。諂佞を離れて王に愛重せられん。
三は、沙門婆羅門及諸國人は正法を修行し無病安樂にして抂死者なく、諸福田において悉く皆な修立せん。四は、三時中において四大調適し、常に諸天に増加守護せられ慈悲平等にして傷害心なく、諸衆生をして三寶に歸敬し、皆な願ひて菩提之行を修習せしめん。是を四種利益の事と為す。世尊よ、我等亦常に弘經の為の故に如是の持經之人は所在住處に随逐し利益を作さん」。
佛言く、「善哉善哉。善男子よ、如是如是。汝等應當に勤心に此妙經王を流布せよ。則ち正法をして世に久住せしめん」。