福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国遍路の霊験を中心にメモしておきます。(追加)

2019-06-06 | 先祖供養
・稀代の名僧・山本玄峰老師は若き日に和歌山で筏流しをしていましたが底樋になり盲目となりました。老師は底樋治癒の願掛けをして裸足で七回四国遍路をしました。そして七回目、十三番の焼山寺で目が見えてきたといいます。其の後三十三番雪蹊寺で行き倒れているところを山本太玄住職に助けられ、太玄老師の弟子となり禅僧になりのちに昭和の名僧になられます。まさに山本玄峰老師を作り出したのは四国八十八所といえます。(山本玄峰老師関連資料を総合)


・平成十七年、遍路で四国三十六番青龍寺近くの遍路宿喜久屋に泊まりました。ここには当時の女将さんの遍路仲間であった宮崎の呉服屋の女将宮崎さんの遍路姿の写真が飾ってあり、此の宮崎さんは癌と宣告され四国遍路を一巡しただけで治ってしまったといいます。以来35年間毎年春秋二回形70回四国遍路を続けて宮崎高鍋に八十八所を作ったといいます。
・またここの女将さんは甥が重病になり足を切断する必要に迫られた時、ここの三十六番青龍寺の恵果阿闍梨廟に祈願したら治ったといいました。
・四国三十七番岩本寺には朝日新聞「ふらり巡礼」に住職談として霊験が載っています。「関節炎で動けなくなり松葉杖で母と二人で遍路に出た十五歳の少年が三十七番近くで野宿していたとき、この子が明け方『早く来い』『早く来い』と呼ばれた気がして見るとお大師様のような方が立って手招きしておられる。さっと飛び起きて走っていったがあまりに有難いので駆け戻り母を揺り動かして『早く行こう』とせがんだ。母が眼をさましてみると少年は杖無しで立っていた。二人は抱き合ってうれし涙にくれた。」
・これも平成十七年の遍路の自分の経験です。
四国四十四番大宝寺に向かう途中、朝早く遍路宿をでてあるきはじめると道端に東屋が有り近寄ると中からむっくりとお遍路さんらしき人が起き上がりました。近いてみると晴れ晴れとした素晴らしい顔つきの頭を剃った40歳くらいのお遍路さんがいました。「悟った顔」というのはきっとこういう顔だ、相当の高僧に違いないと思いおずおずと「どちらのお寺からいらっしゃいましたか?」と話しかけました。 
 ところが、その人は「私は僧侶では有りません」といったのです。よくよく話を聞くとうつ病のためエリートコースをひた走っていた会社を退職し引きこもりになり、足摺岬に自殺にきた人でした。しかし自殺の直前に遍路の鈴の音を聞き、せめて遍路でもしてから死のうと思い、托鉢して回りはじめたらお接待が相次ぎうれしくなってまわっているうちにお蔭を頂きうつ病が治ったというのです。これから帰京するということでした。
(別の話ですが、その後、帰京してしばらくしたころ俗世のお付き合いの方から「知人がうつ病になって会社を休んでいる、相談に乗ってほしい」と頼まれ増上寺境内で相談に乗ったこともありました。此の人も某大企業でエリートコースを驀進していた人でしたが、栄転先の部下たちが反抗してうつ病になったのでした。川崎大師の近くといいますので、だまされたと思って川崎大師に21回お参りにいってみなさい、かならず回復します」というとその通り実行して18回目に治り復職しました。)

・また四国6番安楽寺のご本尊薬師如来と27番神峰寺は知る人ぞ知る有名な霊験を現されています。各種の霊験記や安楽寺のパンフレットをまとめると以下のようになります。

 昭和31年安楽寺住職畠田禅峰師はお薬師さまのお導きで重度脊椎カリエスの患者水谷しずをつれた夫繁治に決死の遍路行を指導します。その道中、27番神峰寺の急峻な参道で、しずは転倒し、したたかに患部を打ったのですが、そのショックでその場で立てるようになったというのです。そしてそのまま全快したという霊験談があります。 この霊験に感激した水谷夫妻が昭和38年3メートルの薬師如来座像を奉納し古いご本尊を坐像の中におさめています。平成19年5月にもここに泊めていただき住職の畠田秀峰師に母の得度のお礼方々、この話を確認しましたがその通りであるとのことでした。25年の遍路のときは食堂のビデオで此の時の有難い模様を紹介されていました。またこの水谷夫妻は四国でいただいてきた88所のお砂をもとに自宅にお砂ふみ道場を開設し地元の人々に昭和35年から52年までお参りしてもらったということです。毎年4千人が旧正月の3日間に訪れバスの行列ができたと近藤堯寛「空海大師巡礼」にあります。
 
 
 
 
・浅井證善師「へんろ功徳記と巡拝習俗」にある真念「四国徧禮功徳記」より四国遍路の功徳をすこし紹介します。「第一話、土佐の仁井田庄に弥助という人がいた。貞享年間一六八四~一六八八ある日妻が布を織っていた時遍路の僧がやってきた。妻はほどこすものがなかったので織りかけの布を切って施した。それたらはその布はいくら切っても尽きることがなかった。」「第二話、へんろの功徳により口がきける様になった話。紀州高野山の領地に善三郎という吃音者がいた。・・あるとき思い立ってお大師様に祈り遍路を始めたところ三日目に物を言うことができた」「第四話、阿波の海部に母川という川がある。この川は大旱の時我が子にやる水を遍禮の僧に喜捨したところその僧が感謝して五鈷で地を加持して清き流れができたこれが母川である。」「第五話、勘七の妻の病が治癒した話。紀州伊都郡東家村の中島理右門、太郎右衛門はじめ同じ村の同行八人は貞享二年1685の夏に四国徧禮したが焼山寺下で勘七という者(妻が病気で寝たきり)の善根宿に泊てもらいお礼に焼山寺でこの妻の為に祈って勘七の家へかえると病気だたった妻はた快癒していた。・・・」
 
 
 ・西端さかえ「四国遍路記」によると愛媛県温泉町川内町伊藤まさ子氏は娘のスミさんがノイローゼで服毒自殺を図り医者に手遅れと言われた時、四国遍路の納経帳を娘の額の上にのせ般若心経を一心にあげると娘さんの顔に生気が甦り助かったということです。
 ・また西端さかえ「四国遍路記」には東京の医者の霊験記が載っていました。「往診の途中の交通事故で右手骨折歯も折れ口も結べなくなった。絶望していたことろ四国遍路を勧められた。12番焼山寺まで来たとき山道で苦しくなり水が欲しくなった。どうせ死んだ方がましだと思って近くにあったお地蔵様の花立の水を飲んだ。そして花立を元に戻そうとしてはっと気が付いた。利かなかった右手を使っていたのだ。『治っている、治して頂いた。』と叫びあとはお礼の遍路をした。」




 
・ 杉浦詩奈「お遍路の奇跡」(東方出版2004年)には長期間強度のうつ病で苦しんでいた主婦(著者)が平成元年四国遍路に出て全快、平成三年には先達にまでなったと書かれています。
 
・「四国八十八所霊験記(昭和五十九年・四国八十八所霊場会発行)」にある霊験を以下に紹介します。
・交通事故で言語障害をおこしていたた鈴置夫人が四国遍路で常人の如く話ができるようになった。(「弘法大師讃仰・池田某」)
・十六歳で肺病となり当時は不治の病とされていたため、どうせなら四国で死のうと考え四国遍路に出た。はだしで歩き一か寺で2時間余読経した。読経中は周囲の人の声は一切耳に入らない位集中した。一回目は順打、二回目は逆打で回り、38番金剛福寺通夜道で病気が治った夢を見た。その時は肋膜や腹膜の膨れがすっかり小さくなっていた。その後二回目を廻り終えてすっかり健康になり自宅へ帰れた。すでに二十歳になっていた。周囲の人たちが集まってきて祈祷してほしいというが、信仰は自分でするものと断っている。(大先達某の聞き書き)
・我が子が脳性小児マヒとわかり知多新四国巡拝・高野奥の院の十日のお籠り等の後、昭和三十八年三月に小児マヒの子と親夫婦で四国へ出発した。それ以来毎年四国巡礼をし高野山にもお参りしていた。するとこのいままで自分で一切動けなかった小児マヒの青年は自分でタイプ印刷所をはじめ、そのうち支援にきていた素晴らしい女性と結婚してしまった。昭和五十九年の中日新聞には「障碍者の印刷屋さん、年賀状の注文殺到・瑞枝夫人と二人三脚・・」と紹介されるまでになった。そしてこの夫人は四国遍路で何度も訪れた愛媛県の出身者であった。(「地獄の中で必死にになってたたけば極楽への扉が開かれた。権先達f」)
・四国遍路で、同行の老婆を長年苦しめてきた膀胱の大石が七十七番道隆寺のトイレで突然取れた。みると中指の半分以上もある大石であった。(小笠原・豊山派信徒総代)
・三十三歳で交通事故で半身不随となり死を決意して四国遍路に出た。横峰寺参道で体全体に電流のような感覚が走り、それまで曲がらなかった首・左半身・左腕が突然曲がるようになり事故以前の体に戻った。以来仏門に入り昭和五十四年大師堂が建立でき蛇円山真光寺が誕生した。(蛇円山)
・四国遍路で六番安楽寺に泊まった時、四〇歳くらいの言語障害の人がいて老僧の法話中にも喘息で法話が聞き取れなかったくらい咳き込んだが、安楽寺の老僧に加持をしていただき以来完治して八八所を巡拝できた。(大先達O)。
・妻が高血圧で倒れ意識不明・半身不随となり余命十日と診断された。このうえはお大師様にお縋りするほかないと考え、四国を逆うちで巡拝した時、六十番横峰寺で持参していた家内の数珠をかざし一心に心経を唱え、南無大師遍照金剛と唱えたとき、ガツンとショックを受けた気がしてそのときにお大師様のお姿を暗闇に拝した気がした。思えば最初から回り始めて二十一回目だった。帰宅すると余命十日と診断された妻は食卓で座しておかゆを食べていた。聞くと丁度自分が六十番焼山寺でお大師様を拝していた時、治ったという。それ以来五年後の今も家内は元気でいる。御大師様のお陰を頂いたのである。(大先達、湯川)
・主人の家は代々真言宗でしたが祖父の代から神道に宗旨替えをしました。そのためか先祖の苦しみが我々に降りかかるようになり家族でお四国参りに出かけるようになりました。何回かまわっているうちに不治の病といわれた息子の病気もよくなりました。昭和44年の春、61番香園寺で朝3時半ころ我が子の結婚や入試のことを子安大師様にお願いしていると「おぎゃ^おぎゃー」という声が聞こえ子安大師様の目から涙が流れています。それを見て金縛りにあったまま自分に流産の水子がいたこと等を思い出しました。四国遍路でも水子霊のことをすっかり忘れていたのでした。このことをお大師様が教えてくださったのだと気が付き懸命に般若心経をお唱えすると、「おっこん、おっこん」という赤ちゃんの声が聞こえ子安大師様の抱えておられる赤ちゃんが足をバタバタさせながらお大師様の御顔を撫でているではありませんか。その後の札所は水子の供養もしながら回ることができました。自宅でも神道からもとの真言宗に戻して先祖供養をしっかりとやっています。皆さまも改宗のおそろしさを心に止めておいてください。(大先達、N)
・昭和48年3月22日、四国遍路に出た。1番霊山寺に泊まった時、数か月前から出来ていた手首の大きな骨の突起が消滅しているのに気が付いた。(元国鉄駅長、先達・N)
・曾祖父は病気で盲目となった、医者からも不治の病と診断されていた。しかし真言宗の寺で21日間断食してお大師様に祈願した結果、21日目の満願の日に目が明いた。その後御礼の為本四国を歩いて3回回り、高野山まで28キロを毎月21日に10年間あるいてお参りした。曽祖父はその後は老眼にもならず無病で88歳まで生き、お大師様の日に笑みを湛えてぽっくりと逝った。自分も21歳の時、脚気から腎臓病・肺湿潤に罹り寝たきりになり」医者に匙を投げられていた。そのとき5月21日、見知らぬ旅僧が巡礼姿で自宅にあらわれ「この病は7日で治してやる。自分は四国霊場某寺の田淵清光というものである。」といい七日間お大師様を祀ってある仏壇のまえで朝夕、加持と灸をしてくれた。その結果七日目にはすっかり回復全快した。御礼に四国88所を遍路したが件の寺で、田淵という僧侶の方を聞いても実在しないことが分かった。きっとそのお方はお大師様に違いないと確信した。・・(先達・T)
・千圭子ちゃんは1歳にもならない時、カミソリを掴んで大出血した。大学病院で7時間の大手術をしたが手の甲は反り返ったままで握ることは出来なくなってしまった。祖父母の十河さん夫婦は信仰心の篤い夫婦で千圭子ちゃんが2歳半の時四国遍路に連れて行った。千圭子ちゃんはもみじの様な手で札所の御本尊様・御大師様・お地蔵様などおまつりしているすべての祠にお参りしていった。そうしてお四国を廻っているうちに千圭子ちゃんのそれまで握れなかった手が握れるようになった。いまは小学生になった千圭子ちゃんは学級委員になりクラスのいじめられっ子を助けて感謝の手紙をもらっている。(権先達・T)
・私はスモン病にかかかり寝たきりとなった。或る夜お大師様の夢を見た。御大師様は「私が連れて行くから、3年間お四国を巡拝せよ」と告げられた。主人に背負われてお四国へいったが不思議とそれまで立てなかった足が杖を持つと立てた。そうして毎年3年間四国遍路をしたが3年目の遍路が終わって帰宅した時、御不動様を感得した。お不動様は「おまえの足は元のようにはならぬが自分の身の回りのことはできるようにしてやる」とおしゃった。そのとおりに自分のことは自分でできるようになった。御恩返しに敦賀巡拝団をつくり四国遍路をさせていただいている。(先達・S)
 
・昭和13年徴兵された。石手寺で「無事帰郷させていただいたらお四国をまわります」と祈願して出兵した。一回目はノモンハンに出撃直前に停戦になり、二回目はパラオからニューギニヤへいくことになっていたが病気になり除隊して帰郷した。三回目の招集は昭和20年1月で奉天経由で上海に到着し沖縄に出撃することになっていたがその前に終戦となった。引き上げ後、食糧事情がきびしくお礼参りができなかったが昭和30年5月78歳の母を連れてお礼の遍路をした。その後お四国を25回廻った。(大先達・N)
 
 
 
 
 
・私の頂いた霊験も再度書いておきます。
1、毎年入退院を繰り返していた縁者の重度うつ病が治り家族ともども幸せな家庭生活を送っていること。
2、半年もたないといわれていた縁者の末期がんが治り海外旅行にまでいったこと。
3、遍路の途中で深い草むらに落とした時計を一ツ橋の学生が拾って焼山寺まで届けにきてくれて遍路を続けられることになったこと。
4、血圧が25も下がる等健康体になったこと
5、身内が望みどおりの就職ができたこと。
6、最後に一番有難いことがありますがここにはとても勿体無くて賭けません。
 
 
 
 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 御大師様の先祖供養について... | トップ | 御大師様の先祖供養について... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

先祖供養」カテゴリの最新記事