福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その76

2014-07-15 | 四国八十八所の霊験
52番太山寺は、真野長者開基とされます。真野長者は用明2年(587)船で大阪に向かうとき暴風雨に遭い、観音さまに無事を祈願して救われたので、報恩に一夜で間口66尺、奥行き81尺の本堂を建立したといわれています。その後、天平11年(739)に聖武天皇の勅願で行基菩薩が十一面観音像を彫り、胎内に真野長者の小観音像を納めて本尊にしています。孝謙天皇(在位749〜58)のころは、七堂伽藍と66坊を数えたとされます。大師は晩年の天長年間(824〜34)に訪れ、護摩供の修法をされて、それまでの法相宗から真言宗に改宗しています。のち、後冷泉天皇(在位1045〜68)後三条、堀河、鳥羽、崇徳、近衛の6代にわたる各天皇が、十一面観音像を奉納されていおり、いずれも本尊の十一面観音像とともに国の重要文化財とされ本堂内陣の厨子に安置されているといいます。なお現本堂は長者の建立から3度目で、これも国宝です。
澄禅「四国遍路日記」には「昔は三千石の寺領なれども天正年中に無縁所となる。今も六坊存す」とあります。江戸初期にはさびれていたと思われます。

境内には「みちゆずる ひとおがみゆく 秋遍路」の正岡子規の句がありました。
17年秋は本堂に達筆の聯があるのを扉の間から垣間見ることができました。(その後は扉をしめています。)お大師様の般若心経秘鍵「夫れ仏法遥かに非ず。心中にして即ち近し。真如他に非ず。身を棄てていづくにか求めん。迷悟我にあれば、則ち、発心すれば即ち到る。明暗他に非ざれば則ち信修すればたちまちに証す。」のなかから「信修すればたちまちに証す」のところを雄渾な筆で書いています。
これは
要約すれば「仏法は自分の外にあるものではなく中にあるものである。
迷いは自分が迷っているにすぎないのであるから人々のために尽くそうという気持ちをおこしさえすれば自分の中の仏性が出てきてそのまま仏になる。
悟りも迷いもじぶんの中にあるものだから仏様の教えに従いほんのちょっとみかたをかえ自分をなくすことさえできればその瞬間に間髪をいれずそのまま仏になっている」ということでしょうか。

 高野山奉賛会の会長も務めていた岸信介の書でした。岸信介は昭和の怪物とも謂われた人ですが、こういうお大師様の奥深い教えを書道家よりも素晴らしい字で奉納するとはかなりの人であったのかもしれません。ほかのお寺にも岸信介の謹厳な字体の般若心経の写経の碑を信者が寄進していました。氏は写経を日課にしていたということを雑誌で見たことがあります。深い仏縁があったのでしょう。
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