「我が為によき人には能々あたり、わろき人にはわろくあたるは返々も口惜しきことに候。畜生・犬などこそよくあたる人には尾を振りよろこび、又わろくあたる人には逃げほえなどし候へ。人となりぬるかひにはよきひとには申すに及ばず悪しきひとにもよくあたり候へばわろきひともおもひ直るに候。もしそのままなれども、神仏のおしみ給ふ事也。身聞く人これをほむるなり。今生に人にわろくあたれば又後生にわろくあたられすべて因果つくすべからず。今度因果をはたしとどむるやうに、わろき人にもよくあたり給ふべし。人のよくば我が先世を悦び、人のわろくば又先世をうらみたまふべし。(人に邪見にされるのは前世の報いであるがこれを返せば因果尽きることがない。人にはよくしてどのような場合でもこれ以上因果を造らないようにしなければならない。人が良くしてくれれば前世を喜び、悪い人に出会えば前世を恨め)
「極楽寺殿御消息・北条重時」(北条重時は泰時の弟、連署となり執権・時頼を補佐する。極楽寺を創建し忍性を迎え開基とする。自身も出家し「観覚」と号す。仏教への篤い信仰を基として儒教精神や武士の質実剛健さ等を説いたその思想は、江戸時代まで広く国民各層の意識に影響を与えたとされる。)
「極楽寺殿御消息・北条重時」(北条重時は泰時の弟、連署となり執権・時頼を補佐する。極楽寺を創建し忍性を迎え開基とする。自身も出家し「観覚」と号す。仏教への篤い信仰を基として儒教精神や武士の質実剛健さ等を説いたその思想は、江戸時代まで広く国民各層の意識に影響を与えたとされる。)