福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その72

2014-07-11 | 四国八十八所の霊験
五十番から五十一番石手寺までは3.3キロメートル。すぐです。

五十一番石手寺の草創は聖武天皇の神亀五年(七二八)伊予大守越智玉純が勅を奉して鎮護国家の道場として伽藍を建立し、安養寺と名づけたことにはじまるといいます。縁起によれば、「道後湯築城主河野息利の妻が男児を生んだ。その子は生後三年たっても左の手を握ったままであったが安養寺住職の祈祷により手をひらき、「衛門三郎再来」の小石がころげ落ちた。この子こそ天長八年十月、十二番焼山寺の山中で亡くなった衛門三郎の生まれかわりなのであった」とされます。やがて安養寺を石手寺に改め、この石は寺に納められています。澄禅「四国遍路日記」には「石手寺、本尊は薬師、本地は熊野三所権現。二十余間の長床あり。つつ゛いて本堂・文殊・三重塔・御影堂・鐘楼・二王門。予州無双の大伽藍なり」とあります。広い境内にその面影はいまものこっています。
 境内には上に六観音の名を刻み下に「伊予の秋、石手の寺の香盤に海の色して立つ煙かな」の句を刻んだ与謝野晶子の句碑があります。「海の色した香煙」とはさすがにすばらしい譬えです。昔読んだ高校の先生の遍路記に「お線香の火で醜悪な近代文明を焼き尽くしたい。」とあったのをおもいだしました。まことに風のまにまに青く漂うお線香の煙はデジタル化され個人的欲望に塗りこめられた現代文明とは対極的位置にあります。


 我々は普段何の気なしに焼香したりお線香をあげていますがこれには深い意味があります。
①仏様を供養し、仏様に来ていただくという意味②魔を払うという意味③中陰にいる故人の魂に香を食してもらうという意味④人間界の臭気を拂うという意味⑤精進を誓う意味、の5つです。

① (仏様を供養し、仏様に来ていただくという意味)賢愚経には、放鉢国の長者の息子、富那奇尊者は弟の羨那と共にお釈迦様の為に香木でお堂を作りました。そしてお釈迦様をお迎えしたいと思い、二人で各々香炉をもってお堂に上り、お釈迦様のいらっしゃる祇園精舎に向かって仏様のご来臨を祈願しました。この香煙は不思議なことに祇園精舎のお釈迦様に流れてゆきお釈迦様の頭上を覆ってしまいました。そこでお釈迦様は兄弟の深い帰依の気持ちを知り、弟子と共にその栴檀堂に赴かれたということです。ここから焼香は仏様をお迎えする便りであるとされます。大日経疏八には、(供養に塗香、華蔓、焼香、飯食、燈明があるが、)焼香はあまねく法界に到ることを、(塗香は清浄を、華は慈悲を、飯食は無上の甘露・不生不死を、燈明は如来の光明が暗を破する意味を)表わすとしています。金剛界曼荼羅には八供養菩薩(嬉・曼・歌・舞、香・華・燈・塗)と云う菩薩様方が描かれており、大日如来と四佛が相互に供養されています。

② (魔を払うという意味)説法明眼論には「焼香品第四、至心二香木ヲ焼ケバ天魔及ヒ波旬、香ヲ聞テ失心シテ退クコト楢シ死門二入ルガ如シ、讐ヘバ蜣蜋虫(リョウキョウチュウ)ノ天ノ甘露ノ美二酔ヒ、
蚪蟢(トウキ)苦辛ヲ好テ、其ノ昧最モ美ナリト為ルガ如ク、魔民モ亦是の如シ。香ヲ聞テハ臭悪ト嫌フ、若し悪臭ノ気ヲ聞テハ、カヲ増テ功徳ヲ防ク、若し入美香ヲ焼ケハ魔倫ハ他方二趣キ、仏神ハ歓喜シテ守り、修善は必ス成就ス。」とあります。

③(中陰にいる故人の魂に香を食してもらうという意味)
雜阿毘曇心論 には「 問中陰何食答香食欲界中陰以香」(中陰では香を食事とする)とあります。

④(人間界の臭気を拂うという意味)密教仏事問答には「「律相感通傳」を考えるに天人が下って道宣律師(唐時代南山律宗の開祖、唐随一の学僧)に見えたとき、道宣が「仏の供養に先ず香を献ずるのは如何なる謂れがありますか」と問うたところ、天人の答えるには「人間の臭気は上四十万里に臭う、諸天は清浄でこれを厭う。しかし護法の佛勅をうけているので地に下らないわけにはいかない。故にこのために仏事には必ず香を焼かしめるのである」とあります。

⑤(精進の意味)嵐渓拾要集には「・・一。六種供具ノ事 示云。此六種供具ト者。六波羅蜜所表也。此行法ノ次第ハ。自因至果從果向因、成佛ノ所表ナルカ故ニ。必供具ヲ用フ。其故ハ因位萬行萬善ハ、廣ク六波羅蜜ヲ促ルニ在ト雖モ。此六度ヲ一座行法ノ中ニ圓滿具足スル也。所謂閼伽者檀度。塗香ハ戒。花鬘ハ忍辱。燒香ハ精進。飮食ハ禪定。燈 明ハ智慧也。此六種供具當體。是六大相貎也。以ッテ六大無礙即身成佛ト名ズク也。仍チ我等ガ六大和合スルヲ祕密壇ノ供養法ト名ズク也・・」とあります。

私も永く試行錯誤の上やっと高野でいいお香を見つけました。いまでは大切なところのお詣りはすべてそれを使うことにしています。するとそのお線香を焚くたびにその仏様や亡き父母達と一体に成れる感じがするのです。四国遍路でもすべてこのお香を焚きました。


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