又問うて曰。若し諸佛に自然業あり、能く一切處に現じて衆生を利益するならば、一切衆
生は若しくは其身を見、若しくは神變を見、若しくは其説を聞いて利を得ざることなけんに、云何が世間は多く見ることあたわざるや。
答曰。諸佛如來の法身は平等にして遍一切處、作意することあること無きが故に、而も自然なりと説くも、但だ衆生の心によりてのみ現る。衆生の心は猶ほ鏡の如く、鏡にして若し垢あらば色像不現なり。如是の衆生心にして若しく垢あれば、法身は不現なるが故なり。(また問う、諸仏は自然に現れる働き(自然業)があってあらゆるところにあらわれて衆生を利益するということであるが、それならばなぜ衆生はその姿を見たり、神通を感じたり、説法を聞くなりして利益を得るはずであるのにどうして世の中には仏を見ることのできない多くの衆生がいるのであるか?答え、諸仏の法身の働きはすべてに平等に遍在しておりなんら作意がないのでその働きは自然であるというが、それはあくまで衆生の心に随ってあらわれるものである。衆生の心は鏡のようなもので曇っておれば姿は映らない。同様に衆生の心がけがれていれば法身はその姿を現わすことはないのである。)
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