第三五課 家庭
私は紅山茶花べにさざんかを見るといつも思うのです。家庭というものは、こうも静かで浄らかであり、可憐なあでのいろをも添えたい。静かで浄らかでも蓮の花ではあまりに淋しい。梅でも百合でも香があって常住をともにするには刺戟が強い。では香がなくまた淋し過ぎない花として桜はどうか、牡丹、しゃくやく、の花はどうか。それはあまりに華やか過ぎる。紅山茶花の「紅のいろ」こそ、静かな浄らかな山茶花に、しかも淋し過ぎない「いろ差し」を持っている。
家庭は休息場です。静かでありたい。浄らかなところは、永遠に人を飽かさない。といって淋しくてはいけない、静かで、浄らかで、あでに可憐な紅山茶花!
そして水晶の二寸形の観音様をどこかの棚に置かれたい。嬉しい時、悲しい時、いつも掌を合せる。観音は私達の生活の護りの母です。
観音のスマートで清麗な容姿を私達の生活に加えるだけでも、どれほど美感に恵まれた家庭生活となるか知れません。
(仏壇がありご本尊様やご先祖様の前で毎日家族で手を合わせられる家庭はそれだけで最高の幸せ家族です。私も今日偶々40数年前の結婚式の写真を発見して見直しましたが、様々な人たちにお世話になったことが改めて思い起こされました。私の場合は継母の反対で新郎側は私の友達が親代わりでした。その友人たちが横断幕など用意して式を盛り上げてくれた写真があり色々な人にお世話になったのだと感慨無量でした。先日、テレビで東日本大震災の被災者のかたにお地蔵様を作っていただくというボランチアをしている禅僧が映っていましたが、家族を亡くされた方がお地蔵様を作りながら泣き崩れたと話していました。今、幸せでない家庭も観音様やお地蔵さま、仏様はご先祖とともにじっと見守ってくださっています。)