88番大窪寺は胎蔵が峰の中腹445mに建つ大寺です。堂々たる山門です。ご本尊は薬師様です。頼富本宏「四国遍路とはなにか」には「本尊薬師如来坐像は手に薬壺ではなく法螺貝を持っており、修験から強い影響が及んだことが認められる。岩屋のなっている奥の院胎蔵峯寺には迫割岩などの行場の跡があり、さらに登った女体山の山頂にも瀬戸内海を望む辺地修行の行場がある。また、元禄二年1689寂本の「四国徧禮霊場記」の大窪寺の項には「鎮守権現」と記されている。このような例は72番曼荼羅寺などにも見られ熊野権現であった可能性がある。」とされています。
いよいよ成満です。
しかし成満の喜びよりも1回目は雨と10月末の寒さで震えてしまいました。
震えながらも本堂、大師堂で「有難うございました。」と座って一心にお経をあげました。
少し前まではお蔭を頂いた遍路の松葉杖、コルセット、髪などがところ狭しと奉納されていたということです。「四国へんろ・平幡良雄」には「かっては堂内に松葉杖・髪の毛の束・ギブスやコルセットなどが所狭しと奉納してあり、強い信仰による巡拝を通じて得られた霊験で、こうした無数の奉納品を眼のあたりにして、迷信だなどと誰が言えよう。不治の病が治癒したのだ。廃人同様となった人が生きる喜びを見出して将来に希望を持つことができた。20年近くも子宝に恵まれなかった女性に一子が授けられる。これらの霊験を科学で解明しうるであろうか。・・」とあります。
千数百年の間、無数のお遍路さんがお蔭をいただき、今もいただいていることは間違いないのです。
今までここで多くのお遍路さんが感涙にむせび、立ち去りがたいおもいで般若心経と大師宝号をあげ続けたのです。私も何十年来の四国遍路の願いが叶えられただけでなく、多くの縁者の病気まで治していただき感無量でした。
◇
◇
奇跡というかお蔭というか「不思議は世々にあらたなり」ということは体験しなければわかりません。
この遍路の不思議こそ千数百年のあいだ四国88所が続いた理由です。
この後30分程山道を歩いて胎蔵が峰の奥の院もおまいりしました。
山道は故郷の山と同じ匂いがしました。ここまで来る人はめったにいないのでしょう。
肌を刺す霊気がありました。
まだ高野山がのこっているので最後だ、という感激はあまり味わえません。
それでも茶店に寄って好物の甘酒をのみました。
このまま高野山までいかなければなりません。
いよいよ成満です。
しかし成満の喜びよりも1回目は雨と10月末の寒さで震えてしまいました。
震えながらも本堂、大師堂で「有難うございました。」と座って一心にお経をあげました。
少し前まではお蔭を頂いた遍路の松葉杖、コルセット、髪などがところ狭しと奉納されていたということです。「四国へんろ・平幡良雄」には「かっては堂内に松葉杖・髪の毛の束・ギブスやコルセットなどが所狭しと奉納してあり、強い信仰による巡拝を通じて得られた霊験で、こうした無数の奉納品を眼のあたりにして、迷信だなどと誰が言えよう。不治の病が治癒したのだ。廃人同様となった人が生きる喜びを見出して将来に希望を持つことができた。20年近くも子宝に恵まれなかった女性に一子が授けられる。これらの霊験を科学で解明しうるであろうか。・・」とあります。
千数百年の間、無数のお遍路さんがお蔭をいただき、今もいただいていることは間違いないのです。
今までここで多くのお遍路さんが感涙にむせび、立ち去りがたいおもいで般若心経と大師宝号をあげ続けたのです。私も何十年来の四国遍路の願いが叶えられただけでなく、多くの縁者の病気まで治していただき感無量でした。
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奇跡というかお蔭というか「不思議は世々にあらたなり」ということは体験しなければわかりません。
この遍路の不思議こそ千数百年のあいだ四国88所が続いた理由です。
この後30分程山道を歩いて胎蔵が峰の奥の院もおまいりしました。
山道は故郷の山と同じ匂いがしました。ここまで来る人はめったにいないのでしょう。
肌を刺す霊気がありました。
まだ高野山がのこっているので最後だ、という感激はあまり味わえません。
それでも茶店に寄って好物の甘酒をのみました。
このまま高野山までいかなければなりません。