福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「十善法語」その60

2019-10-30 | 十善戒
又或者が云。佛法による者は次第に愚痴になる。罪を恐れては。小蟲を誤殺しても涙を流し。後世の福を求ては。漫りに財物を費し。重寶をも僧に喜捨する。佛性などの名句に迷て。犬猫を踏でも禮拜す。大儀を忘れて小威儀に滞ると。此等は近代律僧等の中。一類の弊儀を見て。世尊の正意の様に心得るものゝ言葉じゃ。律家も眞の者は小威儀を忽かせにせぬ中に。大行を成就することじゃ。

又或者の云。佛法の中に慈悲をおもうとするは。儒道の仁を主とするに似たれども。佛法は平等と云ことを本意とするに由て。蟲蟪(むしけら)も父母も平等に慈悲を行ずれば。父母と蟲蟪(むしけら)と一様にする理に落る。蟲蟪(むしけら)を惠む道を以て父母に事ふるならば不幸の至りと。是等も佛教を知らぬ者が。無理に理窟を拵て云言葉じゃ。佛教の中には。上下尊奠卑の境に其差別有。なしと云べからずじゃ。平等ということを。山を崩し谷を塡みて一様にすることの様に思ふぁは。愚痴の至りじゃ。窮屈過ぎたことじゃ。
孟子にも固哉高叟が為詩やとある。(孟子告子章句下に「固[いや]しいかな、高叟が詩を爲[おさ]むること。此に人有らん。越人弓を關[ひ]いて之を射ば、則ち己談笑して之に道わん。他無し。之を疏んずればなり。・・」とある)
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