『立正安国論』
「・・・
金光明経に云はく「其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗て流布せしめず。捨離の心を生じて聴聞せんことを楽はず、亦供養し尊重し讃歎せず。四部の衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)、持経の人を見るも、亦復尊重し乃至供養すること能はず。遂に我等及び余の眷属、無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ず、甘露の味はひに背き正法の流れを失ひて、威光及以勢力有ること無からしむ。悪趣を増長し、人天を損減して、生死の河に堕ちて涅槃の路に乖かん。世尊、我等四王並びに諸の眷属及び薬叉等、斯くの如き事を見て、其の国土を捨てゝ擁護の心無けん。但我等のみ是の王を捨棄するに非ず、必ず無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨去せん。既に捨離しおはりなば其の国当に種々の災禍有りて国位を喪失すべし。一切の人衆皆善心無く、但繋縛・殺害・瞋諍のみ有って、互ひに相讒諂(あいざんてん)して枉(ま)げて辜(つみ)無きに及ばん。疫病流行し、彗星数出で、両の日並び現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表はし、星流れ地動き、井の内に声を発し、暴雨悪風時節に依らず、常に飢饉に遭ひて苗実成らず、多く他方の怨賊有りて国内を浸掠せば、人民諸の苦悩を受けて、土地として所楽の処有ること無けん」已上。
大集経に云はく「仏法実に隠没せば鬚髪爪皆長く、諸法も亦忘失せん。時に当たって虚空の中に大いなる声ありて地を震ひ、一切皆遍く動ぜんこと猶水上輪の如くならん。城壁破れ落ち下り屋宇悉くひ拆し、樹林の根・枝・葉・華葉・菓・薬尽きん。唯浄居天を除きて欲界一切処の七味・三精気損減して、余り有ること無けん。解脱の諸の善論時(とき)に当たって一切尽きん。生ずる所の華菓の味はひ希少にして亦美からず。諸有の井泉池一切尽く枯涸し、土地悉く鹹鹵(かんろ)し、剔裂(てきれつ)して丘澗(くけん)と成らん。諸山皆燋然して天竜も雨を降さず。苗稼皆枯れ死し、生ずる者皆死れ尽くして余草更に生ぜず。土を雨らし皆昏闇(こんあん)にして日月も明を現ぜず。四方皆亢旱(こうかん)し、数(しばしば)諸の悪端を現じ、十不善業道・貪瞋癡倍増して、衆生の父母に於ける、之を観ること獐鹿(しょうろく)の如くならん。衆生及び寿命色力(しきりき)威楽減じ、人天の楽を遠離し、皆悉く悪道に堕せん。是くの如き不善業の悪王・悪比丘、我が正法を毀壊し、天人の道を損減し、諸天善神・王の衆生を悲愍する者、此の濁悪の国を棄てゝ皆悉く余方に向かはん」已上。
仁王経に云はく「国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るゝが故に万民乱る。賊来たりて国を劫かし、百姓亡喪し、臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん。天地怪異し二十八宿・星道・日月時を失ひ度を失ひ、多く賊の起こること有らん」と。亦云はく「我今五眼をもって明らかに三世を見るに、一切の国王は皆過去の世に五百の仏に侍(つか)へしに由って帝王の主と為ることを得たり。是を為て一切の聖人羅漢而も為に彼の国王の中に来生して大利益を作さん。若し王の福尽きん時は一切の聖人皆捨去為ん。若し一切の聖人去らん時は七難必ず起こらん」已上。
薬師経に云はく「若し刹帝利(せつていり)・潅頂王等の災難起こらん時、所謂人衆疾疫(にんじゅしつえき)の難・他国侵逼の難・自界叛逆の難・星宿変怪難・日月薄蝕の難・非時風雨の難・過時不雨の難あらん」已上。
仁王経に云はく「大王、吾が今化する所の百億の須弥、百億の日月、一々の須弥に四天下有り、其の南閻浮提に十六の大国・五百の中国・十千の小国有り。其の国土の中に七つの畏るべき難有り、一切の国王是を難と為(な)すが故に。云何なるを難と為す。
・日月度を失ひ時節返逆し、或は赤日出で、黒日出で、二三四五の日出で、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ずるを一の難と為すなり。
・二十八宿度を失ひ、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・刁星(ちょうせい)・南斗(なんじゅ)・北斗(ほくと)・五鎮(ごちん)の大星・一切の国主星・三公星・百官星、是く諸星各々変現するを二の難と為すなり。
・大火国を焼き万姓焼尽せん、或は鬼火・竜火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火あらん。是くの如く変怪するを三の難と為すなり。
・大水百姓をひょう没し、時節反逆して冬雨ふり、夏雪ふり、冬時に雷電霹し、六月に氷(ひょう)霜雹(そうばく)を雨らし、赤水(しゃくすい)・黒水・青水(しょうすい)を雨らし、土山・石山を雨らし、沙・礫(りゃく)・石を雨らす。江河逆しまに流れ、山を浮べ石を流す。是くの如く変ずる時を四の難と為すなり。
・大風万姓を吹き殺し、国土山河樹木一時に滅没し、非時の大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風あらん、是くの如く変ずるを五の難と為すなり。
・天地国土亢陽し、炎火洞燃として百草亢旱し、五穀登(みの)らず、土地赫燃(かくねん)して万姓滅尽せん。是くの如く変ずる時を六の難と為すなり。
・四方の賊来たりて国を侵し、内外の賊起こり、火賊・水賊・風賊・鬼賊ありて百姓荒乱し、刀兵劫起せん。是くの如く怪する時を七の難と為すなり」と。
大集経に云はく「若し国王有りて、無量世に於て施戒慧(せかいえ)を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せずんば、是くの如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失して、其の国当に三つの不祥の事有るべし。一には穀貴(こっき)、二には兵革、三には疫病なり。一切の善神悉く之を捨離せば、其の王教令すとも人随従せず、常に隣国の為に侵嬈せられん。暴火横(よこしま)に起こり、悪風雨多く、暴水増長して、人民を吹ひょうせば、内外の親戚其れ共に謀叛(むほん)せん。其の王久しからずして当に重病に遇(あ)ひ、寿終(じゅじゅう)の後大地獄の中に生ずべし。乃至王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱(ちゅう)師・郡守・宰官も亦復是くの如くならん」已上。
・・・
仁王経に云はく「諸の悪比丘多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て自(みずか)ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別へずして此の語を信聴し、横(よこしま)に法制を作りて仏戒に依らず。是を破仏・破国の因縁と為す」已上。
涅槃経に云はく「菩薩、悪象等に於ては心に恐怖(くふ)すること無かれ。悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ。悪象の為に殺されては三趣(さんしゅ)に至らず、悪友の為に殺されては必ず三趣に至る」已上。
法華経に云はく「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを為れ得たりと謂ひ、我慢(がまん)の心充満せん。或は阿練若(あれんにゃ)に納衣にして空閑に在り、自ら真の道を行ずと謂ひて人間を軽賎する者有らん。利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて、世に恭敬せらるゝこと六通の羅漢の如くならん。乃至常に大衆の中に在りて我等を毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅(ばら)門(もん)・居士(こじ)及び余の比丘衆に向かって誹謗(ひぼう)して我が悪を説いて、是(これ)邪見の人外道の論議を説くと謂(い)はん。濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん。悪鬼其の身に入って我を罵詈し毀辱せん。濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らず、悪口して顰蹙し数々擯出せられん」已上。
涅槃経に云はく「我涅槃の後無量百歳に四道の聖人悉く復涅槃せん。正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし。持律に似像(じぞう)して少しく経を読誦し、飲食を貪嗜して其の身を長養し、袈裟を著すと雖も、猶猟師の細視除行するが如く猫の鼠を伺ふが如し。常に是の言を唱へん、我羅漢を得たりと。外には賢善を現じ内には貪嫉を懐く。唖法を受けたる婆羅門等の如し。実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん」・・
薬師経の七難の内、五難忽ちに起こり二難猶残れり。所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。大集経の三災の内、二災早く顕はれ一災未だ起こらず。所以兵革の災なり。金光明経の内、種々の災過一々に起こると雖も、他方の怨賊国内を侵掠する、此の災未だ露はれず、此の難未だ来たらず。仁王(にんのう)経の七難の内、六難今盛んにして一難未だ現ぜず。所以四方の賊来りて国を侵すの難なり。加之国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るゝが故に万民乱ると。今此の文に就いて具に事の情を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ。先難是明らかなり、後災何ぞ疑はん。若し残る所の難悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何が為んや。帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや豈騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか。就中人の世に在るや各後生を恐る。
是を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪むと雖も、而も猶仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄りに邪義の詞を宗めんや。若し執心飜らず、亦曲意猶存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄(ひとや)に堕ちなん。所以は何、大集経に云はく「若し国王有って無量世に於て施戒慧を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せずんば、是くの如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失し、乃至其の王久しからずして当に重病に遇ひ、寿終の後大地獄に生ずべし王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡主・宰官も亦復是くの如くならん」と。
仁王経に云く「人仏教を壊(やぶ)らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐けず、疾疫(悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出でて人と為らば兵奴の果報ならん。響きの如く影の如く、人の夜書くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」と。
法華経第二に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と。又同第七巻不軽品に云はく「千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」と。
涅槃経に云はく「善友を遠離し正法を聞かず悪法に住せば、是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在って受くる所の身形縦横八万四千由延ならん」と。
広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず。悲しいかな、皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。愚かなるかな各悪教の綱に懸かりて鎮に謗教の網に纏はる。此の朦霧(もうむ)の迷ひ彼の盛焰の底に沈む。豈愁へざらんや、豈苦しまざらんや。汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし。
客の曰く、今生後生誰か慎まざらん誰か和はざらん。此の経文を披きて具(つぶさ)に仏語を承るに、誹謗の科至って重く毀謗の罪誠に深し。我一仏を信じて諸仏を抛(なげう)ち、三部経を仰ぎて諸経を閣きしは是私曲の思ひに非ず、則ち先達の詞に随ひしなり。十方の諸人も亦復是くの如くなるべし。今世には性心を労し来生には阿鼻に堕せんこと文明らかに理詳(つまび)らかなり疑ふべからず。弥(いよいよ)貴公の慈誨を仰ぎ、益愚客の癡心を開き、速やかに対治を廻らして早く泰平を致し、先づ生前を安んじ更に没後を扶けん。唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。 」(終わり)
「・・・
金光明経に云はく「其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗て流布せしめず。捨離の心を生じて聴聞せんことを楽はず、亦供養し尊重し讃歎せず。四部の衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)、持経の人を見るも、亦復尊重し乃至供養すること能はず。遂に我等及び余の眷属、無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ず、甘露の味はひに背き正法の流れを失ひて、威光及以勢力有ること無からしむ。悪趣を増長し、人天を損減して、生死の河に堕ちて涅槃の路に乖かん。世尊、我等四王並びに諸の眷属及び薬叉等、斯くの如き事を見て、其の国土を捨てゝ擁護の心無けん。但我等のみ是の王を捨棄するに非ず、必ず無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨去せん。既に捨離しおはりなば其の国当に種々の災禍有りて国位を喪失すべし。一切の人衆皆善心無く、但繋縛・殺害・瞋諍のみ有って、互ひに相讒諂(あいざんてん)して枉(ま)げて辜(つみ)無きに及ばん。疫病流行し、彗星数出で、両の日並び現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表はし、星流れ地動き、井の内に声を発し、暴雨悪風時節に依らず、常に飢饉に遭ひて苗実成らず、多く他方の怨賊有りて国内を浸掠せば、人民諸の苦悩を受けて、土地として所楽の処有ること無けん」已上。
大集経に云はく「仏法実に隠没せば鬚髪爪皆長く、諸法も亦忘失せん。時に当たって虚空の中に大いなる声ありて地を震ひ、一切皆遍く動ぜんこと猶水上輪の如くならん。城壁破れ落ち下り屋宇悉くひ拆し、樹林の根・枝・葉・華葉・菓・薬尽きん。唯浄居天を除きて欲界一切処の七味・三精気損減して、余り有ること無けん。解脱の諸の善論時(とき)に当たって一切尽きん。生ずる所の華菓の味はひ希少にして亦美からず。諸有の井泉池一切尽く枯涸し、土地悉く鹹鹵(かんろ)し、剔裂(てきれつ)して丘澗(くけん)と成らん。諸山皆燋然して天竜も雨を降さず。苗稼皆枯れ死し、生ずる者皆死れ尽くして余草更に生ぜず。土を雨らし皆昏闇(こんあん)にして日月も明を現ぜず。四方皆亢旱(こうかん)し、数(しばしば)諸の悪端を現じ、十不善業道・貪瞋癡倍増して、衆生の父母に於ける、之を観ること獐鹿(しょうろく)の如くならん。衆生及び寿命色力(しきりき)威楽減じ、人天の楽を遠離し、皆悉く悪道に堕せん。是くの如き不善業の悪王・悪比丘、我が正法を毀壊し、天人の道を損減し、諸天善神・王の衆生を悲愍する者、此の濁悪の国を棄てゝ皆悉く余方に向かはん」已上。
仁王経に云はく「国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るゝが故に万民乱る。賊来たりて国を劫かし、百姓亡喪し、臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん。天地怪異し二十八宿・星道・日月時を失ひ度を失ひ、多く賊の起こること有らん」と。亦云はく「我今五眼をもって明らかに三世を見るに、一切の国王は皆過去の世に五百の仏に侍(つか)へしに由って帝王の主と為ることを得たり。是を為て一切の聖人羅漢而も為に彼の国王の中に来生して大利益を作さん。若し王の福尽きん時は一切の聖人皆捨去為ん。若し一切の聖人去らん時は七難必ず起こらん」已上。
薬師経に云はく「若し刹帝利(せつていり)・潅頂王等の災難起こらん時、所謂人衆疾疫(にんじゅしつえき)の難・他国侵逼の難・自界叛逆の難・星宿変怪難・日月薄蝕の難・非時風雨の難・過時不雨の難あらん」已上。
仁王経に云はく「大王、吾が今化する所の百億の須弥、百億の日月、一々の須弥に四天下有り、其の南閻浮提に十六の大国・五百の中国・十千の小国有り。其の国土の中に七つの畏るべき難有り、一切の国王是を難と為(な)すが故に。云何なるを難と為す。
・日月度を失ひ時節返逆し、或は赤日出で、黒日出で、二三四五の日出で、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ずるを一の難と為すなり。
・二十八宿度を失ひ、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・刁星(ちょうせい)・南斗(なんじゅ)・北斗(ほくと)・五鎮(ごちん)の大星・一切の国主星・三公星・百官星、是く諸星各々変現するを二の難と為すなり。
・大火国を焼き万姓焼尽せん、或は鬼火・竜火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火あらん。是くの如く変怪するを三の難と為すなり。
・大水百姓をひょう没し、時節反逆して冬雨ふり、夏雪ふり、冬時に雷電霹し、六月に氷(ひょう)霜雹(そうばく)を雨らし、赤水(しゃくすい)・黒水・青水(しょうすい)を雨らし、土山・石山を雨らし、沙・礫(りゃく)・石を雨らす。江河逆しまに流れ、山を浮べ石を流す。是くの如く変ずる時を四の難と為すなり。
・大風万姓を吹き殺し、国土山河樹木一時に滅没し、非時の大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風あらん、是くの如く変ずるを五の難と為すなり。
・天地国土亢陽し、炎火洞燃として百草亢旱し、五穀登(みの)らず、土地赫燃(かくねん)して万姓滅尽せん。是くの如く変ずる時を六の難と為すなり。
・四方の賊来たりて国を侵し、内外の賊起こり、火賊・水賊・風賊・鬼賊ありて百姓荒乱し、刀兵劫起せん。是くの如く怪する時を七の難と為すなり」と。
大集経に云はく「若し国王有りて、無量世に於て施戒慧(せかいえ)を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せずんば、是くの如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失して、其の国当に三つの不祥の事有るべし。一には穀貴(こっき)、二には兵革、三には疫病なり。一切の善神悉く之を捨離せば、其の王教令すとも人随従せず、常に隣国の為に侵嬈せられん。暴火横(よこしま)に起こり、悪風雨多く、暴水増長して、人民を吹ひょうせば、内外の親戚其れ共に謀叛(むほん)せん。其の王久しからずして当に重病に遇(あ)ひ、寿終(じゅじゅう)の後大地獄の中に生ずべし。乃至王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱(ちゅう)師・郡守・宰官も亦復是くの如くならん」已上。
・・・
仁王経に云はく「諸の悪比丘多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て自(みずか)ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別へずして此の語を信聴し、横(よこしま)に法制を作りて仏戒に依らず。是を破仏・破国の因縁と為す」已上。
涅槃経に云はく「菩薩、悪象等に於ては心に恐怖(くふ)すること無かれ。悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ。悪象の為に殺されては三趣(さんしゅ)に至らず、悪友の為に殺されては必ず三趣に至る」已上。
法華経に云はく「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを為れ得たりと謂ひ、我慢(がまん)の心充満せん。或は阿練若(あれんにゃ)に納衣にして空閑に在り、自ら真の道を行ずと謂ひて人間を軽賎する者有らん。利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて、世に恭敬せらるゝこと六通の羅漢の如くならん。乃至常に大衆の中に在りて我等を毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅(ばら)門(もん)・居士(こじ)及び余の比丘衆に向かって誹謗(ひぼう)して我が悪を説いて、是(これ)邪見の人外道の論議を説くと謂(い)はん。濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん。悪鬼其の身に入って我を罵詈し毀辱せん。濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らず、悪口して顰蹙し数々擯出せられん」已上。
涅槃経に云はく「我涅槃の後無量百歳に四道の聖人悉く復涅槃せん。正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし。持律に似像(じぞう)して少しく経を読誦し、飲食を貪嗜して其の身を長養し、袈裟を著すと雖も、猶猟師の細視除行するが如く猫の鼠を伺ふが如し。常に是の言を唱へん、我羅漢を得たりと。外には賢善を現じ内には貪嫉を懐く。唖法を受けたる婆羅門等の如し。実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん」・・
薬師経の七難の内、五難忽ちに起こり二難猶残れり。所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。大集経の三災の内、二災早く顕はれ一災未だ起こらず。所以兵革の災なり。金光明経の内、種々の災過一々に起こると雖も、他方の怨賊国内を侵掠する、此の災未だ露はれず、此の難未だ来たらず。仁王(にんのう)経の七難の内、六難今盛んにして一難未だ現ぜず。所以四方の賊来りて国を侵すの難なり。加之国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るゝが故に万民乱ると。今此の文に就いて具に事の情を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ。先難是明らかなり、後災何ぞ疑はん。若し残る所の難悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何が為んや。帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや豈騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか。就中人の世に在るや各後生を恐る。
是を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪むと雖も、而も猶仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄りに邪義の詞を宗めんや。若し執心飜らず、亦曲意猶存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄(ひとや)に堕ちなん。所以は何、大集経に云はく「若し国王有って無量世に於て施戒慧を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せずんば、是くの如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失し、乃至其の王久しからずして当に重病に遇ひ、寿終の後大地獄に生ずべし王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡主・宰官も亦復是くの如くならん」と。
仁王経に云く「人仏教を壊(やぶ)らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐けず、疾疫(悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出でて人と為らば兵奴の果報ならん。響きの如く影の如く、人の夜書くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」と。
法華経第二に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と。又同第七巻不軽品に云はく「千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」と。
涅槃経に云はく「善友を遠離し正法を聞かず悪法に住せば、是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在って受くる所の身形縦横八万四千由延ならん」と。
広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず。悲しいかな、皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。愚かなるかな各悪教の綱に懸かりて鎮に謗教の網に纏はる。此の朦霧(もうむ)の迷ひ彼の盛焰の底に沈む。豈愁へざらんや、豈苦しまざらんや。汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし。
客の曰く、今生後生誰か慎まざらん誰か和はざらん。此の経文を披きて具(つぶさ)に仏語を承るに、誹謗の科至って重く毀謗の罪誠に深し。我一仏を信じて諸仏を抛(なげう)ち、三部経を仰ぎて諸経を閣きしは是私曲の思ひに非ず、則ち先達の詞に随ひしなり。十方の諸人も亦復是くの如くなるべし。今世には性心を労し来生には阿鼻に堕せんこと文明らかに理詳(つまび)らかなり疑ふべからず。弥(いよいよ)貴公の慈誨を仰ぎ、益愚客の癡心を開き、速やかに対治を廻らして早く泰平を致し、先づ生前を安んじ更に没後を扶けん。唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。 」(終わり)