福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 8/14巻の11/13

2024-09-22 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 8/14巻の11/13

十一、  會津黒河不信者罰を蒙る事

中古會津の黒河(会津若松市)と云所に廣野原あり。一宇の草堂あり。本尊は六地蔵。通身本より木佛なり。彼の原は人の栖遥かに隔て大原の途中なり。然るに年久しくのきばもくちて棟梁あらはれて實に哀しき分野になりもてゆく。これ建立の源遥かなる故なり。さるから信も荘厳なきに起こらず、叩く者なければ斯に響なく霊験さながら虚しくぞなりぬ。されども寺領は六町(6ヘクタール東京ドームの2倍)餘に及べり。たまたま僧衆の相残に徒に費やし且御縁の日も香華をも供へず、灯明をも奉らずをのずからある塵をも拂はず、私の弟舎に畫きたる地蔵を掛け奉り、地蔵は何れも同じき御事なり是にて念誦し奉らんと云て居りながら勤行するほどに危うき僧の身躰にぞ侍る。爰に彼の所の地頭を芦名の七郎信師と云て貪欲熾盛にして古實弟一の俗あり。倩(つらつら)彼の寺の作法を見奉るに佛像も浅間敷く亦供僧どもの不道にして行儀のほど無沙汰にして現當の二世ともに虚しかるべき事をあさましく覺へ所詮再興し奉らんと思立ちて彼寺の住侶凢僧どものひかへ持ちて懈怠を致したる供田を没収して彼の寺を再興しけるに本の六地蔵寺を修補し奉らば然るべき事なりしを彼の朝臣あまりに雄才を構へて彼の所は荒野の中なれば賊の恐れもいかが人里も遠く僧徒の繁昌なりがたし。彼の堂を迁(うつ)し申さん事こそ𦾔伽藍其の恐れもあり信仰し奉れよとこれ新旧同じかるべしとて自ら館のかたはらに黒河とて大河の流れたる所あり、此ぞ究竟の霊地とて新に寺を建て坊を作り衆僧を皈依す。本尊も新造の地蔵菩薩にて在り。されば本寺はいよいよあれはてて参詣の人もなく、新寺は榮在(ます)。然るに何方よりともしらず痩せたる法師の替り替り芦名が館に来たりてののしりけるは、故無く重代の所領を没収しけること術無き子細なり。返されんこと然るべきと云入りて或時は夢に等しく或時は現に見る事もありけれども彼の仁本来欲心に目を晦まし放逸にして理を失ふものにてあれば夢をも用ひず現相をも怪しめずして打ち過ぎけるほどに或は件の僧達六人列参して本領をかへし玉ふべき由を乞けるに亦例の事よと返事にもおよばずありければ、衆徒申されけるは我寺は古寺の住侶なり。是非ともに寺領を渡されましきならば法師の身なりとて負け申す理なし。用水を破りて荒田となすべき由を申せば信師さては御坊たちは唯今勝負を決せんとて取りてかからんとすれば幻のごとくになりぬ。信師郎従の内健なる者を召し集めて申し付けるは古寺の住侶等狼藉し悪口に及び皈りたり。定めて言に任せて今夜水の口を切りとるべし。汝等罷り向ひ法師どもを打ち散事難儀に及ばば打擲刃傷に及ぶべし。法師なりとてゆるがせにすべからず。しひて勇猛の動きをなさば召し捕らへて参るべき由をぞ堅く申し付ける。主命そむきがたく已上二十四人手に手に得物の具を持ちて件の水口に罷り向て相待つ所に異様の痩せ法師六人連れて走り来る。堰取り破りて水を留んとす。彼等が所持の武具よの常に替りてぞ見ゆ。錫杖・手替炉・佛旗なんどを指上げ天晴気色いさぎよくぞ見へける。捕手の者ども此れを見て浅間敷の足立や唯射立て散り乱るる処を生け捕れ。何の方便の入るべきと指取引きつめいけるが彼の法師ども踊つ臥しつさまざまに振舞て敵の矢種は尽れども一矢も身にはたたざりけり。其の隙に堰とりやぶりて用水を止めける。件の兵詮方なく一つにどっと打ち合って見物してぞ居たるが紀の師親と申す者あり。生年廿一歳なりしが常に信力堅固にして仁愛深く別して地蔵を念じけるが、矢一つ射残して持ちたりしが本より沙門に向て矢を射ること五逆の罪免れがたし。然りといへども今の事は君の事なり。強ひて軍せんとにはあらず、亦射残たる所いかが傍輩の見聞も否なりとても身を主人に任す是非に及ばざるところ南無地蔵菩薩逆縁なり助玉へと引きしばりて射る矢、面に進む。法師の胸板を射倒したり。此の僧手をい退きたりや。かれこれと追つめて悉くいましめて本所に皈りて主人の庭に引きすへたり。信師夜の明るを待ち兼ねて松明をとぼして庭の馬羈(つなぎ)に縛りたる法師を見て恐の強訴き世のためしもこそあるにあれ強くいましめよと云て灯を指上げてよくよくみければ法師にはあらずして古寺の本尊六地蔵の内にてぞありける。不思議と云ふもをろかなり。夜も明ければ隣里の道俗市をなしけり。六躰の本尊一尊は搦められ玉ひぬ。一尊は胸を射させて御座。見聞の人奇異の思を成しにけり。紀師親は立所に発心して前非を悔ける。七郎信師其の郎従眼に不思議の相を見けれども更に以てをどろかず、身には霊験を経けれども無沙汰にて寺領を返すことなし。然る故か霖雨頻りにして洪水を流し波濤岸をくずし渕浪をささへて湖水の如し。されば件の新佛殿幷に寺領等檀屋等まで流れ沈んで只一時の夢の如し。徒に無主の葦名原とぞなりねけるこそ哀れなれ。爰に老翁一人ありけるが孫の女子を彼の朝臣にやしなはせけるほどに彼も流に沈んで行方知らずなりにければ、彼の翁孫の行末いかが成りぬらんとかわゆく思ければ、彼の寺の六地蔵へ参籠して終夜孫が引接を祈りける中にも、僧は人を助けさせ玉ふ、

御恵こそと承るに不慮に洪水をさせ玉ひて多くの人民を失ひ幾多の田畠を河原となし玉ふ事のうたてさよと恨み事しける。其の夜の夢に僧一人来たり玉ひて翁に向て言く、汝が云所、其の理有るに似たれども汝知らずや、吾は此の寺の六地蔵なり。此の水に人を失ひ田地を荒し原と成る事は我が為すところにあらず。天の為す災なり。一切衆生は自ら不信にして地獄に堕す。信をなすものは佛意に叶ふ者あり自に新佛古佛の隔てなし。又自他の差別もなし。零落繁昌の辨はなけれども彼の朝臣しきりに不信の咎重くして済度するにあたはず。故に天怒りを為して雨を下降し龍神罰をあたへて浪を起こす。假令波浪堤を洗尽ると云とも自業自得の感ずる所。我救ふに力なし。されども順逆の縁相催し見聞の利生むなしからず。況や随順して信ぜんものをやとの玉ひてさめざめと泣き玉ふと思へば夢覚めぬ。翁も涙をながしけるが、我誤て怨みたてまつる事を悟らしむるの御示現にこそ、さては我が孫の暗地も明かにこそ照らし玉はめ、たのもしく思奉り、いよいよ信心をぞ励みける。其の靈像いまだ巍巍として現在し給へるなり。寺を建て像を造る方は如是の事を心えて願ふべきことなり。若しうたがひの心を起こさば化し難きの衆生、佛菩薩もいかがし玉ふべき。順も逆も同じく救玉ふとて少しにても霊瑞をうたがひ夢想をも信ぜぬ輩は後生の葦名なるべし。

引証。十輪経に云、若し諸有情貪瞋痴等皆猛利なる故に殺生或は不與取、或は欲邪行、或は虚誑語、或は麁惡語、或は離間語、或は雜穢語、或は貪、或は瞋、或は復邪見十惡業道を造作し、能く至心に地藏菩薩摩訶薩に稱名念誦歸敬供養する者有らば、一切煩惱悉く皆な銷滅し十悪を遠離し十善を成就し諸衆生に於いて慈悲心及利益心を起す(大乘大集地藏十輪經序品第一「若諸有情貪瞋癡等皆猛利故造作殺生或不與取或欲邪行或虚誑語或麁惡語或離間語或雜穢語或貪或瞋或復邪見十惡業道。有能至心稱名念誦

歸敬供養地藏菩薩摩訶薩者。一切煩惱悉皆銷滅遠離十惡成就十善於諸衆生起慈悲心及利益心」)。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 立ち並ぶ仏の姿今見れば | トップ | 「初期対日方針」で日本をカ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

先祖供養」カテゴリの最新記事