以下密教大辞典等に依ります。
善無畏・・真言伝持の八祖中の第五祖。637年 ~開元二十三年735十一月七日。梵名は戌婆掲羅僧詞、略して輸波迦羅(ゆばから)とも言う。善無畏は義訳。釈尊の父浄飯王の弟の甘露飯王の末裔。中インド摩伽陀(マカダ)国の国王であったが兄たちの反乱を抑えた後、仏門に入り、那蘭陀(ナーランダ)寺で達摩掬多(ダルマグプタ)に就き総持瑜伽三密の教えを授かり無量の印契を一時に頓受し即日灌頂して人天の師となる。鶏足山にはいり迦葉のために頭を剃り観音の灌頂を受ける。師達摩掬多の命により梵夾を持して、迦湿弥羅・烏長國・突厥・吐蕃を経て716年(開元4)長安に達した。玄宗により国師として迎えられ、興福寺南塔院に住んだが、724年洛陽(らくよう)の大福先寺に移って、弟子の一行(いちぎょう)の協力を得て『大日経』7巻を訳出。なお、その際、訳場に列した一行が善無畏の『大日経』の講義を記しまとめたものが注訳書『大日経疏』である。開元二十三年十一月七日右足累息し奄然として遷化。壽九十九。僧蝋八十。玄宗宸哀し開元二十八年十月三日竜門西山広化寺に葬る。