「いのちを生きるものが共に一つ世界に手を取り合っていけるような、そういう世界を開かないかぎり、私の救いはない。個人の救いは一切衆生の救いと別にあるのではない。
生徒が救われないのに先生だけが救われるということはない。子供が救われないのに親だけが救われるということはないでしょう。本当の救いとは何か。性質が違い、考え方が違い、生き方が違い、年齢が違い、学歴が違い、性別が違う。その違った者同士がどこで一つ世界を共有するか。こういうことが一番大事なんです。」 和田稠
生徒が救われないのに先生だけが救われるということはない。子供が救われないのに親だけが救われるということはないでしょう。本当の救いとは何か。性質が違い、考え方が違い、生き方が違い、年齢が違い、学歴が違い、性別が違う。その違った者同士がどこで一つ世界を共有するか。こういうことが一番大事なんです。」 和田稠