昭和の名僧金山穆韶元高野山管長の「求聞持法について」の一文が師の全集にありましたので明星に関するところを中心にかきうつしておきます。
「ご承知のように大師は十九歳のときに阿波の大竜が嶽や土佐の室戸ノ崎にて求聞持の大法を修せられ虚空蔵菩薩の大果を成就せられたのであった。求聞持の大法は大師ご出生の宝亀五年より七十余年前即ち大宝元年大安寺の道慈律師入唐留学中当時、印度より大日経や求聞持法等を持して来唐せられた善無為三蔵よりしたしく伝えられ大法である。道慈帰朝後この大法をば大安寺の善議へ伝え、善議より勤操へ伝え、勤操大徳より我が大師へ伝えたもふた伝来の正しい大法である。(続)
「ご承知のように大師は十九歳のときに阿波の大竜が嶽や土佐の室戸ノ崎にて求聞持の大法を修せられ虚空蔵菩薩の大果を成就せられたのであった。求聞持の大法は大師ご出生の宝亀五年より七十余年前即ち大宝元年大安寺の道慈律師入唐留学中当時、印度より大日経や求聞持法等を持して来唐せられた善無為三蔵よりしたしく伝えられ大法である。道慈帰朝後この大法をば大安寺の善議へ伝え、善議より勤操へ伝え、勤操大徳より我が大師へ伝えたもふた伝来の正しい大法である。(続)