金山管長の文の続です。「求聞持法の本尊たる虚空蔵菩薩は如来の大覚の果体をつかさどられてある尊である。東方発菩提心の智が中央の理に冥合し、理智不二の如来の大覚を開示せる南方宝生如来の覚体をば四菩薩として開説せられますが、その四菩薩の第一位の宝菩薩は虚空蔵菩薩であります。即ち虚空蔵菩薩は理智不二の如来の大覚の全体を司られてある尊であります。
釈迦牟尼如来が多年ご修行の結果ブッダガやの菩提樹下に静座し、晴れ渡れる大空に明星の現ずるを見て廓然として大悟し給いしことを過去現在因果経等にとかれてあります。これはそのときの自然の光景であったであろうが如来の大覚の内容の象徴なり、果徳の表現であります。佛教の本旨はまことに無量でありますが、その根本義は寂照不二の法身の大果の開眼にあるのであります。晴れ渡る大空に明星のかがやけるはこの真境の表現であります。(続)」
釈迦牟尼如来が多年ご修行の結果ブッダガやの菩提樹下に静座し、晴れ渡れる大空に明星の現ずるを見て廓然として大悟し給いしことを過去現在因果経等にとかれてあります。これはそのときの自然の光景であったであろうが如来の大覚の内容の象徴なり、果徳の表現であります。佛教の本旨はまことに無量でありますが、その根本義は寂照不二の法身の大果の開眼にあるのであります。晴れ渡る大空に明星のかがやけるはこの真境の表現であります。(続)」