福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

蒙古襲来時の温故知新・・その14(最終)

2018-08-27 | 護国仏教
八幡愚童訓まとめ
1、 我が国は古代に11回の侵略を半島から受けたが日本人は天神地祇の子孫であるからすべて神仏の力で撃退した
2、 神功皇后の三韓征伐は我が国をこのような度重なる侵略から守る為であり、此の時少人数の軍で遠征したが乾珠、満珠の力で海を満潮にしたり干潮にしたりして敵を溺れさせ降伏させた。新羅国の国王は「以後日本の犬になり年貢を差し出す」と約束した。
3、蒙古襲来はそのころ日本人が澆季に流れていたため、蒙古に付け入られたのである。
4、文永の役のときは日本軍は蒙古の武器や集団戦法にもろくも破れた。蒙古軍は日本人の腸を食べた。朝廷は他の政務をやめて諸寺諸社に僧侶神官一緒に仁王法、大般若転読等による異国降伏の祈祷をさせた。このときは筥崎宮が自ら社屋を焼くとともに白装束の異形の者が蒙古軍に矢を一斉に射ったので、蒙古は海が燃えたと思い、引き揚げた。
5、弘安の役の時も寺社一緒に祈祷したが、特に持戒清浄な思円上人(叡尊)が石清水八幡で尊勝法を修法し、「異国に侵略されると日本という神國が滅び、大小乗の法門を失うことになる。日本は神の国であり人々は戒律を堅固に守っている。蒙古という他国の財や人民の命を平気で奪っている畜生の国に侵略されるわけにはいかない。いまこそ神威を発揮したまえ」といのった。すると狩尾大明神の御託宣があり「思円上人の法味により神祇威光を増したので大風を吹かせて異賊を滅亡させる」とあり、その通りに乾の風が強く吹き蒙古の船は沈没した。
6、神社に祈る時は神前で密教修法と御神楽を一緒にして祈った。
7、蒙古撃退の後、天皇は敵味方犠牲者供養のため放生会を行わせた。そして今後は世はますます澆季に流れて、叡尊のような持戒清浄な僧侶はでなくなるので今後また異国当然攻寄せることになるがその時はどうすべきかと叡尊にお尋ねになった。叡尊は敵の皇子に生まれて日本を攻めることのないようにさせましょう、とお答えになり、その後たしかに敵は攻めてこなくなった。
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