遍路の動機
遍路には動機をきかないことになっていますがじつは野次馬根性でお互い遍路同士もそこが一番知りたくて興味津々なのです。遍路はよほどのことがないとできないでしょうなどといわれますが、結論をさきにいえばお大師様との縁が熟した者が遍路できることになるのです。しかしそこに至る前の直接の動機はさまざまです。
17年の遍路の時、12番焼山寺下の遍路宿のノートに多くの人の遍路の動機が記されてありましたので紹介します。
・「主人を亡くして6日目、家で耐えるのが悲しくてお遍路に出た。
2人で回ろうねと言っていたのに・・・。苦しかったろう主人のことを思うと足の痛さ肩の痛さなどなんでもない。お骨と位牌をしょってがんばります。(63歳)」
・「私の祖父は18年前自ら命を絶ちました。亡くなったあとはもっと苦しんでいると先達さんから聞きました。お大師様におすがりして祖父を少しでも光のあるところに導いて頂きたく女3人で先達さんと回っています。」
・「会社がしんどい。でも知り合いがいなくて会社という世界しか知らない。でも自分はどうしたいんだろう?じぶんの道を考えるため週末にお遍路をはじめました。そして気が付いたこと。私の悩みってなんて小さいんだろう。遍路転がしと言われる急な山道を6時間半登ってやっとたどり着いた焼山寺山門のなんと美しいこと。目標があると人は思いもよらず大きなパワーがでるんだ。人生も・・・と気付かせていただきました。」
・「自分の人生にいきずまりお四国にきました。
一番札所に着いたとき今までたまっていたものが込み上げてきて涙が止まりませんでした。そんな私に札所のみなさんが「絶対死んだらあかんよ」と優しくお接待してくれました。ありがとうございました。ちゃんとお参りしてお借りした金剛杖をお返しして元気な顔をおみせできるよう道中がんばります。(27歳女)」
・「うつ病が嵩じて彼女を殺して自分も死のうと思うところまでいきましたが精神科にかかり薬でおさえています。薬をのみつつここまできました。お遍路にきてよかった。歩きながら毎日感謝の連続です。今日ここまで生かせて頂いた家族、お大師様、お接待していただいた方々すべてに感謝します。」
・「夫婦で6度目の歩きへんろです。感謝の日々です。夫63歳、妻59歳」
・「夫婦できました。
足にマメができて家内に引っぱられています。
私が家内をひっぱるつもりできたのですが反対になりました。
振り返るとこれまで長い歳月どれだけ助けてもらってきたことか。
感謝の念でいっぱいになるほど心がたかぶっています(夫66歳妻56歳)。」
このほかボクシングの元世界チャンピオンの人の日誌もあり「この遍路で将来を決めたい」と書いてありました。この人はのちにまた復帰し活躍しました。
かくいう自分自身はいままでの人生を振り返ると、仮死状態で生まれたこと、高校のとき交通事故で自転車ごと空中高く跳ね上げられてもかすり傷も付か無かったこと、寺を継がず上京しての無頼の生活も無事だったこと、その後の俗世の仕事もそれなりの成果を出せたこと、また私生活においても本当にいい縁者の方々に恵まれたこと、これらすべてお大師様のお蔭であると思い「罪障消滅・懺悔・お礼」を第一にしました。
それでも最初の頃は、仏道成就、子孫の成功、自分の家や親類縁者の先祖供養、知人達のうつ病や癌の平癒、お世話になった十数家族の幸せなど盛りだくさんに祈りました。
ただそのうちに万民豊楽を拝むようになり、さらに段々無心に拝むだけとなりました。
無心で拝むということに関していえば、無心の念仏ということがいわれます。両手両足を壊疽で失いさらに家族とも何度も生別死別を繰り返しつつ過酷な運命を明るく生きた中村久子女史は42歳で念仏により救われますがそれは祖母が幼い時に唱えてくれた念仏が機縁になってのことでした。久子女史の念仏は、ただ『南無阿弥陀仏』と唱えるだけの念仏でした。私も遍路の最後はただ「南無大師遍照金剛」と唱えるだけになれたのです。
しかし私の場合は、本当に有難いことに最初の頃に拝んだ現世利益の願いのすべても聞き届けられたのです。 そしてなにより有難いことは願いの聞き届けられる秘訣が分かったことです。この遍路記はこの秘訣を徐々に展開していくために書いているようなものです。
仏様はみな苦悩する衆生を助けるため出現されています。お経もみな衆生済度のため書かれています。お大師様のかかれた「秘蔵宝鑰」には
「仏法は障りを愍んでおこる。この故に聖人の世に出こと必ず慈悲によるなり。」(仏教は人々がさまざまな人生の障害に遭っているのを哀れんでおこり、お釈迦様をはじめとする聖人は衆生を哀れんで助けるためにこの世に出現されている)とあります。
法華経譬喩品にも有名な言葉があります。
「今、この三界は、皆これ我が有なり、其の中の衆生は、悉くこれ吾が子なり、しかも今此処は多くの患難あり、唯だ我れひとりのみ、能く救護をなすなり」というものです。
現世利益は迷いの世界を離れ悟りの世界(真実の世界)へ導くために与えられた窓です。 現世利益を受けた人は煩悩と汚辱にまみれたどろどろの世界の向こうになんとも云えず有り難い真実の世界があることを感じることが出来るのです。そして一身を擲って他者の為の菩薩行に務めはじめるのです。現世利益は出口ではなく入り口なのです。
仏様もお大師様も、諸高僧方もみな我々の苦悩をどうやって救ってやろうかと願われて行をされ覚りをひらかれたのです。中村久子の例もあります、我々は安心しておすがりすればよいのです。
遍路には動機をきかないことになっていますがじつは野次馬根性でお互い遍路同士もそこが一番知りたくて興味津々なのです。遍路はよほどのことがないとできないでしょうなどといわれますが、結論をさきにいえばお大師様との縁が熟した者が遍路できることになるのです。しかしそこに至る前の直接の動機はさまざまです。
17年の遍路の時、12番焼山寺下の遍路宿のノートに多くの人の遍路の動機が記されてありましたので紹介します。
・「主人を亡くして6日目、家で耐えるのが悲しくてお遍路に出た。
2人で回ろうねと言っていたのに・・・。苦しかったろう主人のことを思うと足の痛さ肩の痛さなどなんでもない。お骨と位牌をしょってがんばります。(63歳)」
・「私の祖父は18年前自ら命を絶ちました。亡くなったあとはもっと苦しんでいると先達さんから聞きました。お大師様におすがりして祖父を少しでも光のあるところに導いて頂きたく女3人で先達さんと回っています。」
・「会社がしんどい。でも知り合いがいなくて会社という世界しか知らない。でも自分はどうしたいんだろう?じぶんの道を考えるため週末にお遍路をはじめました。そして気が付いたこと。私の悩みってなんて小さいんだろう。遍路転がしと言われる急な山道を6時間半登ってやっとたどり着いた焼山寺山門のなんと美しいこと。目標があると人は思いもよらず大きなパワーがでるんだ。人生も・・・と気付かせていただきました。」
・「自分の人生にいきずまりお四国にきました。
一番札所に着いたとき今までたまっていたものが込み上げてきて涙が止まりませんでした。そんな私に札所のみなさんが「絶対死んだらあかんよ」と優しくお接待してくれました。ありがとうございました。ちゃんとお参りしてお借りした金剛杖をお返しして元気な顔をおみせできるよう道中がんばります。(27歳女)」
・「うつ病が嵩じて彼女を殺して自分も死のうと思うところまでいきましたが精神科にかかり薬でおさえています。薬をのみつつここまできました。お遍路にきてよかった。歩きながら毎日感謝の連続です。今日ここまで生かせて頂いた家族、お大師様、お接待していただいた方々すべてに感謝します。」
・「夫婦で6度目の歩きへんろです。感謝の日々です。夫63歳、妻59歳」
・「夫婦できました。
足にマメができて家内に引っぱられています。
私が家内をひっぱるつもりできたのですが反対になりました。
振り返るとこれまで長い歳月どれだけ助けてもらってきたことか。
感謝の念でいっぱいになるほど心がたかぶっています(夫66歳妻56歳)。」
このほかボクシングの元世界チャンピオンの人の日誌もあり「この遍路で将来を決めたい」と書いてありました。この人はのちにまた復帰し活躍しました。
かくいう自分自身はいままでの人生を振り返ると、仮死状態で生まれたこと、高校のとき交通事故で自転車ごと空中高く跳ね上げられてもかすり傷も付か無かったこと、寺を継がず上京しての無頼の生活も無事だったこと、その後の俗世の仕事もそれなりの成果を出せたこと、また私生活においても本当にいい縁者の方々に恵まれたこと、これらすべてお大師様のお蔭であると思い「罪障消滅・懺悔・お礼」を第一にしました。
それでも最初の頃は、仏道成就、子孫の成功、自分の家や親類縁者の先祖供養、知人達のうつ病や癌の平癒、お世話になった十数家族の幸せなど盛りだくさんに祈りました。
ただそのうちに万民豊楽を拝むようになり、さらに段々無心に拝むだけとなりました。
無心で拝むということに関していえば、無心の念仏ということがいわれます。両手両足を壊疽で失いさらに家族とも何度も生別死別を繰り返しつつ過酷な運命を明るく生きた中村久子女史は42歳で念仏により救われますがそれは祖母が幼い時に唱えてくれた念仏が機縁になってのことでした。久子女史の念仏は、ただ『南無阿弥陀仏』と唱えるだけの念仏でした。私も遍路の最後はただ「南無大師遍照金剛」と唱えるだけになれたのです。
しかし私の場合は、本当に有難いことに最初の頃に拝んだ現世利益の願いのすべても聞き届けられたのです。 そしてなにより有難いことは願いの聞き届けられる秘訣が分かったことです。この遍路記はこの秘訣を徐々に展開していくために書いているようなものです。
仏様はみな苦悩する衆生を助けるため出現されています。お経もみな衆生済度のため書かれています。お大師様のかかれた「秘蔵宝鑰」には
「仏法は障りを愍んでおこる。この故に聖人の世に出こと必ず慈悲によるなり。」(仏教は人々がさまざまな人生の障害に遭っているのを哀れんでおこり、お釈迦様をはじめとする聖人は衆生を哀れんで助けるためにこの世に出現されている)とあります。
法華経譬喩品にも有名な言葉があります。
「今、この三界は、皆これ我が有なり、其の中の衆生は、悉くこれ吾が子なり、しかも今此処は多くの患難あり、唯だ我れひとりのみ、能く救護をなすなり」というものです。
現世利益は迷いの世界を離れ悟りの世界(真実の世界)へ導くために与えられた窓です。 現世利益を受けた人は煩悩と汚辱にまみれたどろどろの世界の向こうになんとも云えず有り難い真実の世界があることを感じることが出来るのです。そして一身を擲って他者の為の菩薩行に務めはじめるのです。現世利益は出口ではなく入り口なのです。
仏様もお大師様も、諸高僧方もみな我々の苦悩をどうやって救ってやろうかと願われて行をされ覚りをひらかれたのです。中村久子の例もあります、我々は安心しておすがりすればよいのです。