「文化遺産春日宮曼荼羅」
「中央やや上部に、朱の鳥居と玉垣に囲まれた春日四所明神の四つの社殿を配し、その上部に四社に対応するように、四個の円相内に四所の本地仏の種子を墨書する。種子は向かって右から「モウ」「バイ」「カ」「キャ」の四字で、おのおの不空羂索観音、薬師如来、地蔵菩薩、十一面観音に該当し、それぞれは一宮以下の本地をあらわしている。四社の上方には御蓋山と、その傍らに玉垣を廻らした一社殿(水屋社とみられる)があり、下方には二社殿(若宮と三十八所をみられる)、四脚門のある結界が描かれる。また、神鹿の姿も認められる。社殿の造作や周囲の景観描写が、後世流行する春日宮曼荼羅と全く様相を異にして、全く整備されていないのは、本図が治承四年(1180)の兵火焼失以前の社景を写し、上古の春日社の情景を伝える古式の宮曼荼羅であるからという見方もある。また春日社絵図をもとに鎌倉中葉頃に新写したものとも考えられる。
亀山上皇の御筆と伝える賛のある湯木本は、興福寺絵所(芝座)とみられる勧舜法橋筆の裏書があり、これにきわめて近似する本図も南都絵所の所産といえる。」
以下宸翰英華に依る
「宸筆 春日曼荼羅御色紙形
(前缼)
若し我誓願大悲中 一人も二世の願を成ぜずば 我虚妄罪過中に堕せん
大菩提心正法を護り 教えの如く修行し心寂静なり
自利利他心平等」
(正安二年1300十月正二位藤原宗親が施主となり、絵師観舜法橋が描いた春日曼荼羅上部の色紙形に宸筆を染めさせられた法文である。文の内容は春日大神の本誓を表したものであるが惜しむらくは三枚の色紙形のうち第一枚の胡粉地が剥落しそこに記し給ふた法文は拝し得ない。表装裏には当初の裏書が残っている。それは「正安貮年庚子十月、之を図せらる。大施主正二位藤宗親、絵師観舜法橋、御畫絹加持制心上人、供養御導師權大僧都静兼、銘太上法皇(亀山法皇)、禅林寺殿、十月十一日午時供養」とあり。)