御堂関白記・寛仁二年1018十月十一日庚子「・・此の日一代一度仏舎利、諸社に奉じらる。宇佐・石清水には法服を加ふ。宣命なし。左衛門番長を使と為す。舎利は僧等に持たしむ・・」
後一条天皇(第68代)の御即位に伴って一代一度の仏舎利使を諸社に派遣されています。
古来即位式の度に新天皇は、全国の神社に仏舎利を奉納されていました。
「即位儀礼に見える仏舎利信仰・・・一代一度仏舎利使について・・・大原眞弓 」という論文がありました。
「一代一度仏舎利使とは、天皇即位に際して宇佐・石清水以下全国の各名社に仏舎利使を派遣し、仏舎利を奉納する即位儀礼である。その対象となる名社は、五畿七道にわたりほぼ平安初期から鎌倉末期まで三六七年間、三一代に渡り連綿と仏舎利奉献が行われてきた。
一代一度仏舎利使は一代一度大神宝奉献から派生したと考えることができ、九世紀後半宇多朝に萌芽があり、村上天皇の頃定着・制度化した。(たしかに日本紀略、村上天皇天歴二年九月二十二日に「・・この日仏舎利五十五社に奉じらる。僧各一人を使差す」とあります。)以降三六七年間、三一代に渡り連綿と維持され国家行事として運営された。・・」とあります。
また「平安時代の宮中真言院について・・鶴浩一」にも「・・修法以外で宮中真言院では五拾五人の集団受戒があり、これは天皇即位による一代一度の仏舎利の発遣にかかわりがあり、・・史料として始て現れるのが安和二年969で、55人の小僧に沙弥戒を授け、55社に各一人を仏舎利を届けさす、とありその55社とは近畿七道の各社であり、仏舎利は各一粒を銀の壺に入れて納めている。この一代一度の仏舎利使は僧綱が差し出す沙弥を真言院にて原則東大寺戒和尚が授戒し・・発遣する。発遣当日は、沐浴した天皇が宇佐・石清水に奉献する御装束・仏舎利をご覧になり、上卿以下は仏舎利使が所持する官符に捺印、行事弁(行事をとりしきる弁官)以下は真言院に参り使僧を発遣する・・。」とあります。
天皇の代替わりには天皇陛下が全国の神社に仏舎利を納めていたのです。たしかに神様に仏舎利を差し上げるというのは分かります。真言僧は神社にお参りするときは仏舎利を鳥居の下に隠してお参りせよという言い伝えがあります。神様にお参りしているときに無くなるからと言われています。神様が仏舎利を望まれるという信仰は古くからあったものと思われます。践祚の時に全国の神社に仏舎利を納めていたというのは神様にお喜び頂くという意味で素晴らしいことでした。
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