9月24日坂東12番札所慈恩寺を巡拝しました。
朝出る時は小雨が降っていましたが、大宮から東部野田線、岩槻駅に着くと雨も止んでいて、市の平日のみ運行の小型のコミュニティバスに乗りこみ、およそ20分程で慈恩寺前バス停に降りました。すると正面にはすぐに慈恩寺があり、塀のない開放的な境内が広がっていました。かつては広大な境内で古くから栄えた天台宗の大寺という事だそうですが、江戸時代の度重なる火災により大寺の雰囲気は薄れてしまっているらしいですが、立派なお寺でした。慈覚大師円仁が唐の長安で学んだ慈恩寺にちなんで寺名にしていて縁起では当初のご本尊は円仁が杉の霊木を刻んで安置したものだったそうですが現在のご本尊は比叡山から移されたものだそう。巡拝を済ますと慈恩寺から300m程先の玄奘塔に徒歩で向かいました。空は晴れ秋の稲穂の黄金色、畦道には真っ赤な彼岸花が季節の移ろいを感じさせてくれていました。玄奘塔は南京で日本人によって発見された玄奘の遺骨の一部を、中国の大慈恩寺とゆかりのある、ここの慈恩寺の十三重石塔に分骨奉安されたという事だそうで、悠久のロマンを感じたいところでしたが、玄奘塔の回りは何か修理工事が入っていて、想像力を掻き立てられなかったのが残念でしたが、あの場所に行けた事はとても良かったです。その後バス停に急いで戻り、関東36不動の岩槻大師弥勒密寺に向かいました。バスの中で親切なご婦人に教えて頂いた停留所を降りて歩いていくと、住宅街の中に岩槻大師はありました。お不動様にも参拝し、思いのほかお堂の地下の胎内巡りの四国88ヶ所巡りまでさせて頂く事が出来とても良かったです。境内の大きな銀杏の木に見送られ、岩槻駅まで歩いて帰り駅近くのお店で皆さんと和やかな遅いランチを楽しみました。
皆さんと御一緒させて頂き、導かれている事に感謝です。
中島
朝出る時は小雨が降っていましたが、大宮から東部野田線、岩槻駅に着くと雨も止んでいて、市の平日のみ運行の小型のコミュニティバスに乗りこみ、およそ20分程で慈恩寺前バス停に降りました。すると正面にはすぐに慈恩寺があり、塀のない開放的な境内が広がっていました。かつては広大な境内で古くから栄えた天台宗の大寺という事だそうですが、江戸時代の度重なる火災により大寺の雰囲気は薄れてしまっているらしいですが、立派なお寺でした。慈覚大師円仁が唐の長安で学んだ慈恩寺にちなんで寺名にしていて縁起では当初のご本尊は円仁が杉の霊木を刻んで安置したものだったそうですが現在のご本尊は比叡山から移されたものだそう。巡拝を済ますと慈恩寺から300m程先の玄奘塔に徒歩で向かいました。空は晴れ秋の稲穂の黄金色、畦道には真っ赤な彼岸花が季節の移ろいを感じさせてくれていました。玄奘塔は南京で日本人によって発見された玄奘の遺骨の一部を、中国の大慈恩寺とゆかりのある、ここの慈恩寺の十三重石塔に分骨奉安されたという事だそうで、悠久のロマンを感じたいところでしたが、玄奘塔の回りは何か修理工事が入っていて、想像力を掻き立てられなかったのが残念でしたが、あの場所に行けた事はとても良かったです。その後バス停に急いで戻り、関東36不動の岩槻大師弥勒密寺に向かいました。バスの中で親切なご婦人に教えて頂いた停留所を降りて歩いていくと、住宅街の中に岩槻大師はありました。お不動様にも参拝し、思いのほかお堂の地下の胎内巡りの四国88ヶ所巡りまでさせて頂く事が出来とても良かったです。境内の大きな銀杏の木に見送られ、岩槻駅まで歩いて帰り駅近くのお店で皆さんと和やかな遅いランチを楽しみました。
皆さんと御一緒させて頂き、導かれている事に感謝です。
中島