35、泉山御修行、大師五十一から六十歳、(天長年間、八百二十四から八百三十三)・・・
泉涌寺(京都市東山区泉涌寺山内町)当寺は天長年間、弘法大師がこの地に草庵を結び、法輪寺と名付けられたとされます。鎌倉時代になり入唐僧俊芿はこの地に大伽藍を造営し、寺号を泉涌寺としました。泉涌寺は律を中心として天台、東密(真言)、禅、浄土の四宗兼学の道場として栄えました。貞応三年(一二二四年)には後堀河天皇により皇室の祈願寺と定められ、以降月輪陵には歴代天皇らの25陵、5灰塚、9墓がおさめられています。
泉涌寺(京都市東山区泉涌寺山内町)当寺は天長年間、弘法大師がこの地に草庵を結び、法輪寺と名付けられたとされます。鎌倉時代になり入唐僧俊芿はこの地に大伽藍を造営し、寺号を泉涌寺としました。泉涌寺は律を中心として天台、東密(真言)、禅、浄土の四宗兼学の道場として栄えました。貞応三年(一二二四年)には後堀河天皇により皇室の祈願寺と定められ、以降月輪陵には歴代天皇らの25陵、5灰塚、9墓がおさめられています。