福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「日本國體の研究、田中智學」・・その8

2017-05-02 | 法話

以上五則の結論(注・・國體の要素として、神・道・國・民・君の五つをあげたことをいう
  予はここに「日本國體」の内容を解剖して
第一に「神」・・先祖。
第二に「道」・・主義。
第三に「國」・・背景。
第四に「民」・・執行者。
第五に「君」・・統率者。
この五を包有して居るものだと論じて世界のどこの国にもない特殊な國體であることを述べた。・・しかしながらこの五つは別々に離れて存するものではない。常に一体不離の関係に成立して居るのである。

 まず「神」でいへば、神の心が発現して「道」であり、代表継嗣者が「君」であり、事業負担者が「民」であり、事業根拠地が「國」である。
 次に「道」でいへば、道の発見開道者が・・「神」、率先実行者が「君」、分担実行者が「民」、物質的動力が「國」。
 次に「君」に約していへば、「君」の尊厳の根基が・・「神」、常體が・・「道」、精華が・・「民」、尺度が・・「國」。
 次に民に就いていへば、民の天業的信仰が・・「神」、天業的指針が・・「道」、天業的中心が・・「君」、天業的材料が・・「國」。
 次に國で云へば、國の発見固有者が・・「神」、建設の目的が・・「道」、所有統治者が・・「君」、実力運用者が・・「民」。といふことになる。


日本といふ國のすべてはこの大宣言から割り出されていくべきである。・・それは神武天皇橿原即位の抱負と主張とを提示された大言辞である。すなはち「上は則ち乾霊あまつかみ「國」を授くるの徳に答へ、下は則ち皇孫『正』を養ふの心を弘め、然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ふて宇となさむこと,亦可ならずや。(注・・日本書紀巻第三「即位建都の詔・・紀元前660年2月11日(皇紀元年)初代神武天皇が畝傍山の東南、現在の橿原市に都を開かれるにあたり、詔を発せられた)。」に
「夫れ大人(ひじり)の制を立て、義必ず時に従う。苟しくも民に利有らば何んぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)わん。且た当に山林を披き払い宮室を経営りて恭みて宝位(たかみくら)にのぞみ、以って元元(おおみたから)を慎むべし。
上は則ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまいし徳に答え、下は即ち皇孫(す めみま)の正を養いたまいし心を弘めん。然して後に六合を兼ねて、以って都を開き、八紘を掩ひて宇と為すこと亦可からずや」とあります。)

これが『三綱立國』の中の『養正』の大宣言である。建国の三綱とはこの「養正」と「重暉」と「積慶」とこの三つである。この三つはいずれも神武天皇の勅言であって、日本の伝統にはこういふ特殊のものがあるといふことを開国史の第一頁に語っている。

・・養正とは正を養うとある。・・日本の歴史にも『正』の内容は説明してない。ただ黙して之を行っては居た。それは天の道として意識されてきた所の,大正至公、天の如き心で、天地万物を如法に接受する任運真理の発現で、あとから名をつけて『正』としたのだが、古来これを神隨の道(かんながらのみち)と言って居た。即ち神の心のままに倣し行ひ来った伝統的大義をいふのである。厳格に解して見ると、「天の道を人間に貫徹する唯一の規準たる大義名分の『王道』そのもの」であって、その性命的内容は宇宙の絶対真理、人間の唯一正義たる國體である。・・しかして日本建国の第一条件としてこの「正」の一字が纏出され、それを養ふのが天賦であると宣言された。この宣言から生まれ出た國だ。「養正」は日本の骨子である。(今でも「養正館」とか「養正校」という教育機関が全国に多くあります。)

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