福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「神祇秘抄」・・21/22

2024-03-21 | 諸経

「神祇秘抄」・・21/22

廿一、太神宮には孤狼(内外両宮の近くに斉居して神事に奉仕していた童男童女)の仕ふる事。

問、餘社には巫女を以て仕人と為す。今此の太神宮は孤狼と號す小女あり神に仕ふるは如何。十五以前の児なり。男女孤狼有るべきも而も近来は皆女なりと云々。

答、末社の儀式に巫女有り。晝夜歌舞の態を為す。上に云ふ如く、今此の法性神は無念静寂の智體、本不生の一理なる故に、巫女等には舞ふ儀は無し。

問、然れば彼の孤狼とは其の義如何。

答、秘口に云、此の孤狼は梵天帝釈の二天なり。法性神に奉仕することを表す。

重ねて問ふ、狐狼を以て二天を表す義如何。

答、夫れ天狐、地狐と名くる也。(以下狼は出てこない。)上下二神を擁護する也。天狐とは天照太神の侍者、地狐とは春日大明神の侍者なり。此の神天地有り。則ち本来不生一果の珠を擁護す。亦天狐を聖天と為し、地狐を吒天と為す。擁せらるる所の一果の珠は弁財天と名く。彼此を合体して三果の宝珠と為す。是則ち天の三光、面上の三目(涅槃經「伊字(梵字)の三點は摩醯首羅面上の三點の如し」)、身口意の三業、法に約せば三點也。又天地人を以て三果の宝珠と習ふ、深秘也。又一果各三徳を具す故に三三九也。彼の九は人に約せば九識と為し、又九品浄土也。胎を九尊と名け、金を九会と名け、両部不二を蘇悉地と云ふ。又十八道(十八道も胎蔵の九尊と金剛界の九会をあわせて十八と為すとされる)。又十八善神也(大般若經守護の十八善神)。悉是法性神所變云々。密宗の大事なる哉。或人云く、天等とは、天とは法性神等云ふは彼の二神の名也。所謂天等は一果三徳の號なる哉。

重問、二神の事、粗あら聞くに弁財天を以て不二の寶珠と為す義如何。

答、辨財天は龍宮の主、三世諸佛転法輪利生化導の辨財也。然間、教法滅盡の剋、此の弁財天は龍宮に帰納し、又後、佛出世に彼の法輪を辨才、龍宮より梵天に進み、、化佛に傳へ説かしむと云々。是に依り三世に諸佛出世説法し一字も違はず云々。

是則ち色心不二の語業辨才。故に不二の寶珠と云ふ。息風即ち風體のこと更に問へ。

問て云ふ、爾れば弁財と龍宮と一體の義如何。

答、珠は萬寶を出生するの徳有り。蔵は萬寶を隠の能有り。而して隠す時諸魔の賊を防ぎ、出現しては利生の慈悲を起こす云々。之を思ふべし。

問、何故に彼の珠に自在の徳有る耶。

答、諸仏及び衆生本来不生の一念、即彼の珠也。此の一念は無體の體、無明の名也。而して生起の二念は無量の事業を成す(第一条に「今此の實冥と法性との二神は不生一念の上に暫く善悪の相各別の故に、其の性は然も一致して二念起こすと云々」)。報身智體哉(此処では無明無體の本来不生の一念を法身理體とし、様々なものを生起する二念を報身理體とする)。此の如く本迹二門冥合して自然に説法す。法華の秘釈を以て之を思ふに、釈尊説法の会座、八歳の龍女、一果の寶珠を持ち来たり釈尊に献ず(『法華経』提婆達多品第十二「その時、竜女に、一つの宝珠あり、価値は三千大千世界なり。持って以って 仏にたてまつるに、仏は即ちこれを受けたもう。竜女は、智積菩薩と尊者舎利弗に いいて言わく「われ、宝珠をたてまつるに、世尊は納受したもう。この事、すみやか なるや、いなや」と。答えて言わく「甚だすみやかなり」と。 女の言わく「汝の神力をもって、わが成仏を観よ、またこれよりもすみやかならん」と。 このときの衆会は、皆、竜女の、忽然の間に変じて男子と成り、菩薩の行を具して、 すなわち、南方の無垢世界に往き、宝蓮華に坐して、等正覚を成じ、三十二相・ 八十種好ありて、普く十方の一切衆生のために、妙法を演説するを見たり」)。佛之に依りて真実の妙理を説き、之を法華の法門と為す。献ずる所の珠は今の辨才天也。即ち釈尊本有の弁才転法輪也

この二十一条の最初に「此の神天地有り。則ち本来不生一果の珠を擁護す。亦天狐を聖天と為し、地狐を吒天と為す。擁せらるる所の一果の珠は弁財天と名く」)。經には龍女持ち来れる宝珠也と見へたり(法華経提婆達多品)。然而、諸仏菩薩は本来智體萬徳圓満の根元也。世間比類無きに依り、无價の珠と云ひ、或いは價直(あたひ)三千世界と。是又吾神の御體也。

問、彼の龍女は年始めて八才なり云々(法華経・提婆達多品「娑竭羅龍王の女年始めて八歳なり」)其の義如何。

答、先ず八大龍王幷に文殊の八智を表す。文殊即ち龍女也。法華には一巻の文殊の偈より寶珠品に至るまで文殊の名字無し。提婆品に至りて千葉の蓮華に乗り龍女を引きて霊山に詣ずと見へたり(法華経・提婆達多品「爾の時に文殊師利、千葉の蓮華の大さ車輪の如くなるに坐し、倶に来たれる菩薩も亦宝蓮華に坐して、大海の娑竭羅龍宮より自然に涌出して、虚空の中に住し、霊鷲山に詣でて蓮華より下りて、仏前に至り、頭面に二世尊の足を敬礼し、敬を修すること已に畢って、智積の所に往いて共に相慰問して、却って一面に坐しぬ」)。爰を以て佛、二乗凡夫に対して権教を以て説き迹門方便と為す也。此の時分に於いて、文殊八智隠れて現ぜず、この位を以て龍宮に入ると云ふ也(妙法蓮華経提婆達多品「爾の時に文殊師利、千葉の蓮華の大さ車輪の如くなるに坐し、倶に来たれる菩薩も亦宝蓮華に坐して、大海の娑竭羅龍宮より自然に涌出して、虚空の中に住し、霊鷲山に詣でて蓮華より下りて、仏前に至り、頭面に二世尊の足を敬礼し、敬を修すること已に畢って、智積の所に往いて共に相慰問して、却って一面に坐しぬ。智積菩薩、文殊師利に問わく、仁龍宮に往いて化する所の衆生、其の数幾何ぞ。文殊師利の言わく、其の数無量にして称計す可からず。口の宣ぶる所に非ず、心の測る所に非ず。且く須臾を待て。自ら当に証あるべし」)。上に云ふ如く、龍宮の蔵とは其の隠物の功有りと云々。又佛十地の菩薩等に対し、真実相の旨を述示す、之に依りて不生の妙智漸く顕る故に、八智顕現す。之を謂ふに、文殊、龍女を引きて龍宮より霊山に詣ず云々。之法華の法門也。今此の龍女の持ち来たれる宝珠とは、佛本来所具の八智(苦法 智・苦類智・集法智・集類智・減法智・減類智・道法智・道類智)なり。法華八軸(法華経は八巻)、此の義を表す。暫く事法に依りて献ずる所の宝珠と經説に説けり。理智冥合の故に成仏得道す云々。故に文殊を以て釈尊九代の祖師と號す(溪嵐拾葉集「劍は過去七佛智也。又釋尊九代祖師也。文殊三形カ故也。」)。八智と献ずる所の寶珠を以ての故也。密教の意ならば金九会、胎九尊、九会の一印会は不二本来の珠なり。胎の九尊の中臺も又復此の如し。次に龍女の事、反って男子と成ると云々。女體は十界表徳門、男と成るは不生法爾の體也。不二の徳を顕すを以て成仏と云ふ。又無垢世界は、バン字(梵字)智水を以て、無始の塵労を洗ふが故に、諸着相を離る。之を以て無垢世界と云ふ。南方は又寶珠の方也。不空の軌に云ふ、龍女無上覚を成ずるを得るは真言宗の最も殊勝と為す(住心決疑抄「瑜伽觀智儀軌中云。龍女得成無上覺故。故眞言宗最爲殊勝」)

 

 

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