福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

年末のお参り

2019-12-11 | 講員の活動等ご紹介
先日「障子貼やめ日参を思い立ち」という高浜虚子の句を見つけて以来、年末なのでご縁を頂いている寺社にお参りせねばと気もそぞろでしたが今日やっと少しお参りできました。
川崎大師、弘明寺、靖国神社へお参りしてきました。

川崎大師は川崎大師の不思議
A氏の体験記でも書いたように様々なお陰を自分も自分の縁者も頂いてきた所です。今日も久しぶりにお参りしたのですが人影は少なかったですがその分余計に有難さがひししと迫ってきました。
弘明寺でも当方は数十年前に俗世のころ人事異動で有難い望みを叶えていただいています。ここの聖天堂の横にある柿木は生家の山寺のあった柿木をいつも思い出させ、ここが東京であることを忘れさせます。

午後靖国神社へお参りしました。ここはいつきても緊張感が漂います。今日は三々五々の参拝者でしたが金髪の中年夫婦も熱心にお参りしていました。国の為に殉じた人々を敬うのは万国共通の感情であることが分かります。今日も拝殿の横で心経を心行くまであげることができました。帰りには隣接する名門白百合学園幼稚園の園児たちの可愛い声が境内に響いていて英霊たちもさぞ慰められること思いました。今月の社頭掲示は「生還は帰せず」という陸軍衛生伍長 円城知三命(昭和19年12月10日 レイテ島にて戦死、滋賀県出身)の妻への手紙でした。妻が乏しい生活の中から戦地の夫へ半分無駄と知りつつ必死で為替を送ってきたことへの返信です。子供のことも書いてあります。涙なくして読めませんでした。「手紙正に拝見しました。子供の便り殊に嬉しく、折々読み直す楽しさ、何ものにも勝ります。
同封の為替、当地にては如何ともなし難く、返送致します故、宜しく取り計らひくださいますやう。
戦争も刻一刻と深刻になりました。自分も時折心残りを書き連ねますが、敢へて生還は期せず、南海の曙消え行く星の数に喜んで入ります。 高きうねりも、いつか凪ぐことも有ります。その時は南の空に輝く星の数に入っているかも知れません。
お前に残す言の葉は無いが行く末長き子等を思ふ時、自分も親である。強い様で弱い時もある。これだけは充分頼む。世の人の辱ざらんことを切に望む。 七月一日 ヤエ殿  知三」

之を読むと、クリスマスだ正月だ、と浮かれている気持ちは吹っ飛びます

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 和讃壹千題 | トップ | 人はただ、己にのみ厚くして »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

講員の活動等ご紹介」カテゴリの最新記事