・・密教の護国経典は必ずしも孔雀経、仁王経、守護経に限ったわけではないけれども、大師が入唐されて恵果阿闍梨より親しく師受をうけ、これにもとずきて国家のため修法を企画したまへる代表的のものとしては以上に説明した三経(孔雀経、仁王経、守護経)
である。
そのなか「孔雀経」はこれを正純密教化するにその「儀軌」をもってし、結局は孔雀明王をもってだたちに大日金輪と同一視するにいたっている。また「仁王経」の如きは・・・これまでの五大吼菩薩(仏法を護持する国王を守る忿怒形の菩薩で五方に配置される。中央の金剛吼,東方の無畏十力吼,南方の竜王吼,西方の無量力吼,北方の雷電吼)を改訂するに金剛界五佛(大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)の正法輪身としての五菩薩をもってし、これに付加するに密教独特の般若菩薩をもってしているのである。さらに「守護経」のごときは・・・その理想国家を目するに金剛城曼荼羅とし、それを統治したまふ主尊を矢張り大日如来としておるのである。
かくのごとくにいずれも大日如来をもってその帰結としているところに密教の護国経典たる特質があるのである。これこの密教精神にもとずくかぎりありとあらゆる一切のものは一として天地を貫く大生命体としての大日如来によりて生かされておらぬものなく、この大日如来こそが宇宙の根源であり、一切のものの母体である。
おもふにありとあらゆる一切のものはこの大日如来の母体に抱擁され温かき血の脈動流通によってのみいかされているとともに、その全一生命としての大日如来はまたその細胞たる各々個々を通じてのみその内容を充実し拡大し次から次に自らを豊かにし、自らを荘厳してある。それが密教観よりする霊体としての曼荼羅であり、国家である。
この内外一体、物心一如の活きた統一体としての密教の国家観にもとずきその全一を代表する国主(国民)がみずからの細胞としての臣民(国民)を擁するに、・・・ここに上下和楽、君民一体を生きることになれば顕幽自ら相応し、それが本当に国家を鎮護し守護することになるのである。
・・・如実にこの密教精神の具現せる日本国家のありがたさに感激し、小野の成尊僧都は康平三年十一月十一日勅命によりて奉進せる「真言付法簒要抄」の中に於いて「いま、遍照金剛(大日如来)は鎮へに日域に住して金輪聖王の福を増し給ふ。神を天照尊と号し、刹を大日本国となずく、自然の理、自然の名を立つること誠に職として此れこれによる。この故に南天の鉄塔迮しと雖も、全く法界の心殿を包ね、東乗の陽谷、雛なりといえどもみなこれ大種性の人なり、明らかに知ンぬ、大日如来の加持力のいたすところなり、あに凡愚の知るところならんや、いまや正しく佛日再び耀き専ら聖運をのみ仰ぐ」等と説いてある。・・・(「密教経典と護国思想(栂尾祥雲、『密教文化』」)の部、終わり)
である。
そのなか「孔雀経」はこれを正純密教化するにその「儀軌」をもってし、結局は孔雀明王をもってだたちに大日金輪と同一視するにいたっている。また「仁王経」の如きは・・・これまでの五大吼菩薩(仏法を護持する国王を守る忿怒形の菩薩で五方に配置される。中央の金剛吼,東方の無畏十力吼,南方の竜王吼,西方の無量力吼,北方の雷電吼)を改訂するに金剛界五佛(大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)の正法輪身としての五菩薩をもってし、これに付加するに密教独特の般若菩薩をもってしているのである。さらに「守護経」のごときは・・・その理想国家を目するに金剛城曼荼羅とし、それを統治したまふ主尊を矢張り大日如来としておるのである。
かくのごとくにいずれも大日如来をもってその帰結としているところに密教の護国経典たる特質があるのである。これこの密教精神にもとずくかぎりありとあらゆる一切のものは一として天地を貫く大生命体としての大日如来によりて生かされておらぬものなく、この大日如来こそが宇宙の根源であり、一切のものの母体である。
おもふにありとあらゆる一切のものはこの大日如来の母体に抱擁され温かき血の脈動流通によってのみいかされているとともに、その全一生命としての大日如来はまたその細胞たる各々個々を通じてのみその内容を充実し拡大し次から次に自らを豊かにし、自らを荘厳してある。それが密教観よりする霊体としての曼荼羅であり、国家である。
この内外一体、物心一如の活きた統一体としての密教の国家観にもとずきその全一を代表する国主(国民)がみずからの細胞としての臣民(国民)を擁するに、・・・ここに上下和楽、君民一体を生きることになれば顕幽自ら相応し、それが本当に国家を鎮護し守護することになるのである。
・・・如実にこの密教精神の具現せる日本国家のありがたさに感激し、小野の成尊僧都は康平三年十一月十一日勅命によりて奉進せる「真言付法簒要抄」の中に於いて「いま、遍照金剛(大日如来)は鎮へに日域に住して金輪聖王の福を増し給ふ。神を天照尊と号し、刹を大日本国となずく、自然の理、自然の名を立つること誠に職として此れこれによる。この故に南天の鉄塔迮しと雖も、全く法界の心殿を包ね、東乗の陽谷、雛なりといえどもみなこれ大種性の人なり、明らかに知ンぬ、大日如来の加持力のいたすところなり、あに凡愚の知るところならんや、いまや正しく佛日再び耀き専ら聖運をのみ仰ぐ」等と説いてある。・・・(「密教経典と護国思想(栂尾祥雲、『密教文化』」)の部、終わり)