栄西禅師の『興禅護国論』(建久9年(1198))もその名のとおり「護国のために禅をひろめよ」というものでした。興禅護国論の主要なところを抜書きします。
「興禅護国論の序
大宋国の天台山留学、日本国の阿闍梨、伝燈大法師位、栄西(ようさい)跋す
大いなる哉、心や。天の高きは極むべからず、しかるに心は天の上に出ず。地の厚きは測るべからず、しかるに心は地の下に出ず。日月の光はこゆべからず、しかるに心は日月光明の表に出ず。大千沙界は究むべからず、しかるに心は大千沙界の外に出ず。それ太虚か、それ元気(万物を生み出す根本エネルギー)か、心はすなはち太虚を包んで、元気を孕むものなり。天地は我を待って変化し、万物は我を待って生す。大いなる哉、心や。吾れ已むことを得ずして強いてこれに名ずく。これを最上乗(大乗のその上)となずけ、また第一義となずけ、また般若実相となずけ、また一心法界となずけ、また無上菩提となずけ、また楞厳三昧(首楞厳三昧、堅く絶対的な禅意)となずけ、また正法眼蔵となずけ、また涅槃妙心となずく。しかればすなわち三輪八蔵(凡ての経典)の文、四樹五乗(四樹とはお釈迦様涅槃時に二対の沙羅双樹の1対は枯れ、1対は栄えて常と無常の理をあらわしたこと。五乗は三乗に人乗と天乗を加えたもの)の旨、打併して箇裡にあり(仏教の教えはひっくるめてここにあり)。
・・・第二鎮護国家門とは、仁王経に曰「佛、般若をもって現在、未来世の諸の小国王等に付属してもって護国の秘法とす」と。其の般若とは禅宗なり。謂く、「境内にもし持戒の人あればすなわち諸天その国を守護す」と云々。・・・楞厳経に曰「佛のいわく、阿難よこの四種の律儀を持して、皎たること氷霜の如く、一心に我が般若壇怛羅呪(大白傘蓋神呪)を誦せよ。・・・この娑婆界に八万四千の災変の悪星、二十八の大悪星あり。世に出現せんとき、能く災変を生せんも、この呪ある地は悉くみな消滅せん。十二由旬に結界の地となりて、諸悪災障永く入ることあたわず。この故に如来はこの呪を宣示し、未来世において初学の諸の修行者を保護す」と。禅院において恒に修するは白傘蓋の法なり。鎮護国家の儀あきらかなり。・・・
「興禅護国論の序
大宋国の天台山留学、日本国の阿闍梨、伝燈大法師位、栄西(ようさい)跋す
大いなる哉、心や。天の高きは極むべからず、しかるに心は天の上に出ず。地の厚きは測るべからず、しかるに心は地の下に出ず。日月の光はこゆべからず、しかるに心は日月光明の表に出ず。大千沙界は究むべからず、しかるに心は大千沙界の外に出ず。それ太虚か、それ元気(万物を生み出す根本エネルギー)か、心はすなはち太虚を包んで、元気を孕むものなり。天地は我を待って変化し、万物は我を待って生す。大いなる哉、心や。吾れ已むことを得ずして強いてこれに名ずく。これを最上乗(大乗のその上)となずけ、また第一義となずけ、また般若実相となずけ、また一心法界となずけ、また無上菩提となずけ、また楞厳三昧(首楞厳三昧、堅く絶対的な禅意)となずけ、また正法眼蔵となずけ、また涅槃妙心となずく。しかればすなわち三輪八蔵(凡ての経典)の文、四樹五乗(四樹とはお釈迦様涅槃時に二対の沙羅双樹の1対は枯れ、1対は栄えて常と無常の理をあらわしたこと。五乗は三乗に人乗と天乗を加えたもの)の旨、打併して箇裡にあり(仏教の教えはひっくるめてここにあり)。
・・・第二鎮護国家門とは、仁王経に曰「佛、般若をもって現在、未来世の諸の小国王等に付属してもって護国の秘法とす」と。其の般若とは禅宗なり。謂く、「境内にもし持戒の人あればすなわち諸天その国を守護す」と云々。・・・楞厳経に曰「佛のいわく、阿難よこの四種の律儀を持して、皎たること氷霜の如く、一心に我が般若壇怛羅呪(大白傘蓋神呪)を誦せよ。・・・この娑婆界に八万四千の災変の悪星、二十八の大悪星あり。世に出現せんとき、能く災変を生せんも、この呪ある地は悉くみな消滅せん。十二由旬に結界の地となりて、諸悪災障永く入ることあたわず。この故に如来はこの呪を宣示し、未来世において初学の諸の修行者を保護す」と。禅院において恒に修するは白傘蓋の法なり。鎮護国家の儀あきらかなり。・・・