なほ以上の五転(発心・修行・菩提・涅槃・方便)の五転は大日経に説かれたる三句の義(菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟となす)を開説せるものなるが、三句は菩提心因、大悲為根、方便究竟にして、これ浄菩提心の転昇を因・行・果に約して説かれたるものである。
最初の菩提心為因は五転の中の発心と同義にして、これ本有五智の佛性が、その自体を現証せんとして発動しきたるをいふ。
しかして此の浄菩提心の発起するや自ら二様の態度を生ずるのである。
即ち一は自心の内奥に這入し、自心性を直観自証せんとする求心的態度と、一は五智現証の絶対の覚者を客観に求め、感応加持の妙行に依り、己成如来の佛徳を現身に体得せんとする、大悲為根の修行である。
一は自覚教(自力本願)の態度にして一は救済教(他力本願)の態度なるも、密教は此の二門並べ説くのものである。
即ち心自証心の菩提心為因(「心みずから心を証す」という衆生の菩提心を全ての元とする立場)は、一念無相、阿字の大空位に住し、生死涅槃、凡聖、善悪、因果等のあらゆる対立を超越し、自我をも越え深く法性法界に優遊する妙門にして、
一は己成の如来を高く法界の頂に仰ぎ、生死の苦悪を厭ひ如来の妙果を欣求し、如来に帰命し、加持感応の秘観に依り、如来無量の功徳を現身に体せんとする妙行である。
此の如く生死涅槃対立をも越え、一実法界に従せんとする第一の句と、生死を厭ひ涅槃を欣求し生死の当体に涅槃の妙果を成ぜんとする第二の句は、これ所謂実相平等門と因果差別門の二門にして、此の二門は本来一心所具の徳相である。
一心の自体は此の二門の徳相に相応するところに、その自性を顕現するものである。この二門を全うするところに道の真趣が存するのである。
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