福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その64

2014-07-03 | 四国八十八所の霊験
44番太宝寺に向かう途中、朝早く遍路宿をでてあるきはじめると道端に東屋が有りました。近寄ると中からむっくりとお遍路さんらしき人が起き上がりました。近つ゛いてみると晴れ晴れとした素晴らしい顔つきの頭を剃った40歳くらいのお遍路さんがいました。「悟った顔」というのはきっとこういう顔だ、相当の高僧に違いないと思いおずおずと「どちらのお寺からいらっしゃいましたか?」と話しかけました。
 ところが、その人は「私は僧侶では有りません」といったのです。よくよく話を聞くとうつ病のためエリートコースをひた走っていた会社を退職し、足摺岬に自殺にきた人でした。

しかし自殺の直前に遍路の鈴の音を聞き、せめて遍路でもしてから死のうと思い、托鉢して回りはじめたらお接待が相次ぎうれしくなってまわっているうちにお蔭を頂きうつ病が治ったというのです。 以来、四国を何度も回ったそうです。四国の自然と人情そして千数百年染み込んだ無数の人々の祈りと、歴代札所住職達の土中入定、補陀落渡海による捨身の誓願、なによりもお大師様の衆生済度の誓願がこの方に働いたのでしょう。

色々と話し込みました。身の上話はタブーなので避けましたが、お遍路でのお接待の話は参考になりました。それによるとお接待をして下さる家は立派な家ではなく、むしろ質素な家であることが多いということでした。また病人を抱えている方とか、深刻な悩みをかかえている方等人生苦にあえぐ方々が厳しい生活の中からお接待をして下さる傾向が強いとも教えてくれました。
聞いていてなんともいえない複雑な気持ちになりました。恵まれすぎている方々は弱者に冷たいというのです。
先日26年6月にも自宅近くの国立駅前で黙々とゴミ拾いをしている婦人に「ご苦労様です、いつもありがとうございます」と声をかけましたがこの方は、ゼスチャーで、耳が聞こえないという仕草をしました。ハッとしました。 時々通りかかる文京区の大塚公園でも、野宿している老婦人がいつも公園の落ち葉を掃いています。  こういう方たちは俗世の価値観からすると必ずしも恵まれているとは言えない立場です。世俗的言い方で「弱者」と「強者」を分けるとすれば、「弱者」という立場かもしれません。しかしこういう方たちが黙々と「布施行」に励んでいます。のうのうと恵まれた生活をしている人たちは恥ずかしい限りです。
 「貧者の一灯」の説話の基になった「阿闍世王授決經」では、貧母が乞食で得た僅かな金で食物でなく油を買い燈を燃やして仏を供養したところその燈か消えることなく輝き続けた、貧母は仏様から将来「須彌燈光如來」となると授記(将来仏となると予言)された、と書かれています。授記の理由は貧母の「一心さ」です。阿闍世王が同じことをしても授記されなかったのは「王の作すところ多しといえども心不專一なり。此母の佛への注心の如くならざる也」とされます。即ち一心に供養申し上げるかどうかがお蔭の出る分かれ道ということです。
 また、今恵まれている方々はこういう弱者、不条理な目にあっている方々が自分の受けるべき苦を代わって受けてくれているから、のほほんとしておれるのです。東北の被災者の方々は其の他地方の人々に代わって被災されたのです。あらゆるお経に出てくるこの「代受苦の思想」を知らずして「自分だけは不幸な目に会わなくてよかった」と思ってのうのうと日々を過ごしているとするとそういう人にはまた代受苦の役割が巡ってくるものなのです。なぜなら華厳経でいうように、時間も空間も、すべては相互に入り込んでいて一つであらゆる存在は一体であるからです。他者と切り離された自己などというものは存在しないのです。
 最近やっとこの考え、即ち「華厳経第13巻初発心菩薩功徳品」の「一の世界はこれ無量無辺の世界なりと知り、無量無辺の世界はこれ一の世界にはいることを知り、・・一劫は数ふべからざる阿僧祇劫にして、数ふべからざる阿僧祇劫は即ち一劫なりと知る・・」という考え即ち「すべては一である」という考えが頭でなく体で感じられる気がしてきました。

 四国遍路で出会ったこのお遍路さんはこれからお礼参りして実家に帰るということでした。 この方に心ばかりのお接待をして、「もしよかったら体験記を送ってください、ひとに見せてやりたいので」といって別れましたが、その後連絡はありませんでした。
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