又論蔵の中に。異熟果。等流果。増上果の三を明して。(原因によって生じた結果を唯識では、等流果(とうるか)・異熟果(いじゅくか)・士用果(じゆうか)・増上果(ぞうじょうか)・離繋果(りげか)の五果に分類する。 1、等流果(とうるか) とは善因から生じた善果、悪因から生じた悪果のように、因と同じ性質(等しき流類)の果 2、異熟果(いじゅくか) とは善・不善の業因(異熟因)から生じた無記(非善非不善)の果。因と性質が異なって成熟した果の意。 3、士用果(じゆうか) とは、因の強い勢力を男子(士夫(じぶ))の動作(用(ゆう))に喩えて士用といい、士用ある因によって生じた果の意。同時の因果である。 4、増上果(ぞうじょうか) とはそれみずからを除いた他のすべての有為法(ういほう)を能作因といい、この能作因に対する果である。果に対して力を与えて強くする因の力によって生じた果という意。主因を助ける助因を増上縁といい、これによる結果を増上果という。すなわち業の余勢によって現われた結果のこと。5、離繋果(りげか) とは離繋とは、煩悩(ぼんのう)の束縛を離れたことで、離繋果とは択滅(ちゃくめつ)すなわち涅槃(ねはん)のさとりを指す。)
この殺生の業界を説く。初に異熟果。次に等流果は。華厳の文に相違なきじゃ(大方廣佛華嚴經卷第三十三 入不思議解脱境界普賢行願品にあり)。後に増上果と云は。此殺生の業。外の資具等にまでに推し通じて。光澤少なしとある。(阿毘達磨倶舍論第十二に「増上果者。由殺生所。事修習數起。一切外資生具無復勢味。」とある)
初心なる者は。業報因縁の。外の器界資生の具に推亘(おしわた)ることは。信解が生じ難かろうが。外典にも。大亂の後必ず飢饉有りと云。(老子三十章に「大軍之後、必有凶年」とある)歴史にもその例があることじゃ。此大亂の後必ず飢饉ある道理を以て。増上果有ることを知がよい。
一國の主が殺生の餘業あれば。一國に五穀味薄く。華花までも光澤すくなきじゃ。平人が殺生の餘業あれば。或は五穀を植るも實り少なく。家宅を造立するも心に適わず。仕官を求るも昇進を得ぬじゃ。商人の利を得ぬ。醫藥の藥験のなきなど。萬事みな増上果と云。上下貴賎の別はあれども。其の趣は同じ機じゃ。
この殺生の業界を説く。初に異熟果。次に等流果は。華厳の文に相違なきじゃ(大方廣佛華嚴經卷第三十三 入不思議解脱境界普賢行願品にあり)。後に増上果と云は。此殺生の業。外の資具等にまでに推し通じて。光澤少なしとある。(阿毘達磨倶舍論第十二に「増上果者。由殺生所。事修習數起。一切外資生具無復勢味。」とある)
初心なる者は。業報因縁の。外の器界資生の具に推亘(おしわた)ることは。信解が生じ難かろうが。外典にも。大亂の後必ず飢饉有りと云。(老子三十章に「大軍之後、必有凶年」とある)歴史にもその例があることじゃ。此大亂の後必ず飢饉ある道理を以て。増上果有ることを知がよい。
一國の主が殺生の餘業あれば。一國に五穀味薄く。華花までも光澤すくなきじゃ。平人が殺生の餘業あれば。或は五穀を植るも實り少なく。家宅を造立するも心に適わず。仕官を求るも昇進を得ぬじゃ。商人の利を得ぬ。醫藥の藥験のなきなど。萬事みな増上果と云。上下貴賎の別はあれども。其の趣は同じ機じゃ。