福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Iさんから生々しいお蔭の寄稿を頂きました。(追加再修正)

2016-01-02 | 頂いた現実の霊験
{生き別れの子どもとの再会}

平成27年年末、始発の新幹線に乗って、高野山へと向かいました。御大師様に仏恩感謝の報告をするためです。
我が家は、もともと信心深く、父とともに西国札所を巡礼しました。お四国や百観音霊場も2巡以上、その他の写し霊場も数多く回っていました。毎週、護国寺にお参りし、毎日、勤行を欠かしたことはありません。生活もむさぼることもなく、むしろ模範的な生活を送っていたように思います。

講元の理論によれば、素晴らしい「お蔭」をいただけるはずだったのです。しかし、現実は全くの真逆でした。実際は地獄のどん底に突き落とされたような毎日でした。
まず、家族はバラバラ、かわいがっていた長男とは、三歳から生き別れになっていました。裁判所や様々な行政機関を通じて子どもとも再会を望みましたが、全く叶えられることはありませんてじた。
また、職場では執拗な嫌がらせを受け、職を失う際まで行きました。

きっと宿業があるのだと思い、罪障滅罪に効果があると言われる「大般若経理趣分」の千回読誦をしました。こんなに拝んでいるのにどうして自分だけお蔭を受けることができないのか、それどころか、ますます事態は悪化する一方でした。
毎日、堪えきれないようなストレスに押しつぶされそうにもなりました。毎日を過ごして行くことさえ、とても辛いような日々でした。今から考えれば、よく精神を病まずにやってこれたのか不思議でなりません。

高原講元の講元の「必ずお蔭はある」という言葉もむなしく心に響いていました。
ところが、昨年末、突然、事態が変化しました。三歳の時に生き別れた子どもが自分意思で私の所にやってきたのです。もうじき9歳になりますが、長いこと私と離れて暮らしていたにも関わらず、子どもの時のことをしっかり覚えていました。ただ、残念ながら、長男は同居親に放置され、学校にも行かせてもらいないような状況でした。
全てがうまく解決したわけではありませんが、地獄の淵から、わずかではありますが顔を出すことができました。

長年見放された「お蔭」がほんのわずかですが、姿をあわしたことに涙がでるほどの感激がありました。きっと仏様は、私を見捨てることなく、きっとこのまま続けて幸せを与えてくれるものと、改めて信心を強く持ちました。

私は、経験から次のことを覚りました。
仏様といえども、いつも目に見えるような御利益を授けてくれるわけではないこと、辛い生活を送ることがあさっても、決してその人に堪えられないような辛い試練まで与えることはないこと、そして、強い信心が必ずお蔭をもたらしてくれることです
ともすれば、御利益がなければ、すぐに信心を離れてしまう人も多いことですが、決っして諦めてはならないことを強く確信した次第です。

昨年末に福聚講におけるお蔭の率は87パーセントと報告しましたがお蔭を受けた方は、それが少しだけのお蔭でも、ぜひこのIさんの様に投稿ください。それが福田となり次のお蔭に繋がります
。)


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