先日、関口令夫人から「仁王様と四天王の関係について」ご質問いただき誤ってお答えしていましたので訂正させていただきます。
そのときは一部でしょうなどと適当なことをいってしまいましたが
結論は異なる仏様ですということです。
1、「塵添壒嚢鈔」では以下のように書いています。そのまま引用します。
「問 諸寺の門に立てられる像を二王というがその名はどういう意味か。またなにを標示しているのか。
答 これは本当のところよくわからないことだ。その名をいえば左は金剛で、右は力士である。註梵網経疏に『昔千人の子をもつ王がいて、発心して仏道を願った。ある時二人の兄が誓って神主となり、千佛の法を守った。大兄を金剛といい、次兄を力士という。いま諸寺の門に金剛力士の二神を立てるのはこれである。』とあり、また『あるいは左右共に金剛力士というか』とある。
その標示をいえば『秘蔵記』に『金剛は智なり。この智は煩悩を摧滅すること、たとえば金剛の強力にして諸物を摧滅するがごとし。それこころの実相門を開発しることは智慧をもってする故に、まず門に金剛を立て、内に仏身を置く・・」とある。また『秘蔵記の聞書』に「ある記にいわく、大門にあるを二王というは僻事なり。二王というは中門に多門・持国の二の天王を立つ、東寺、東大寺等の如し。これを二王とも二天ともいうなり。常に人の二王というをば、金剛の形像というべし』とある。」
2、仏像図展(佐和隆研)では「二王」と「四天王」を分けて
「二王」のところでは
以下の経軌を引用しています。
「門の両頬にまさに執杖の薬叉をつくるべし(根本説一切有部毘奈耶雑事)」
「梵に伐折羅陀羅という。この伐折羅は即ちこれ金剛杵、陀羅はこれ執持の義なり。故に旧約に執金剛という。(大毘盧釈那成仏経疏)」
「執金剛神、身相赤肉色。憤怒降魔の相、髪髻焔鬘冠。左手は拳にして腰を押し、右手に金剛杵を持つ。金剛宝の瓔珞に天衣は獣皮の服、身を妙宝色に厳る。(摂無碍経)」
また「四天王」のところでは「陀羅尼集経」「一字佛頂輪王経」などを引用しています。
そのときは一部でしょうなどと適当なことをいってしまいましたが
結論は異なる仏様ですということです。
1、「塵添壒嚢鈔」では以下のように書いています。そのまま引用します。
「問 諸寺の門に立てられる像を二王というがその名はどういう意味か。またなにを標示しているのか。
答 これは本当のところよくわからないことだ。その名をいえば左は金剛で、右は力士である。註梵網経疏に『昔千人の子をもつ王がいて、発心して仏道を願った。ある時二人の兄が誓って神主となり、千佛の法を守った。大兄を金剛といい、次兄を力士という。いま諸寺の門に金剛力士の二神を立てるのはこれである。』とあり、また『あるいは左右共に金剛力士というか』とある。
その標示をいえば『秘蔵記』に『金剛は智なり。この智は煩悩を摧滅すること、たとえば金剛の強力にして諸物を摧滅するがごとし。それこころの実相門を開発しることは智慧をもってする故に、まず門に金剛を立て、内に仏身を置く・・」とある。また『秘蔵記の聞書』に「ある記にいわく、大門にあるを二王というは僻事なり。二王というは中門に多門・持国の二の天王を立つ、東寺、東大寺等の如し。これを二王とも二天ともいうなり。常に人の二王というをば、金剛の形像というべし』とある。」
2、仏像図展(佐和隆研)では「二王」と「四天王」を分けて
「二王」のところでは
以下の経軌を引用しています。
「門の両頬にまさに執杖の薬叉をつくるべし(根本説一切有部毘奈耶雑事)」
「梵に伐折羅陀羅という。この伐折羅は即ちこれ金剛杵、陀羅はこれ執持の義なり。故に旧約に執金剛という。(大毘盧釈那成仏経疏)」
「執金剛神、身相赤肉色。憤怒降魔の相、髪髻焔鬘冠。左手は拳にして腰を押し、右手に金剛杵を持つ。金剛宝の瓔珞に天衣は獣皮の服、身を妙宝色に厳る。(摂無碍経)」
また「四天王」のところでは「陀羅尼集経」「一字佛頂輪王経」などを引用しています。