福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

国家危機を救う仏教原理「成就衆生浄佛国土」その4

2019-10-19 | 護国仏教
お大師様も常に国家の安泰を祈られました。平安時代は平和な時代であったと歴史で習いますが、「八幡愚童記」によるとそれまでもなかなか大変な時代であったことがわかります。蒙古襲来まで11回日本は朝鮮半島からの襲撃を受けているのです。、「八幡愚童記」を引用します。
「・・天に二日無く、地に二王なし。・・この中に新羅・百済・高麗の王臣は貪欲心に飽きたること無く、驕恣身に絶えざるあまり、日本我が朝を討ち取らんとして寄せ来ること数度なり。
それ秋津嶋は五畿七道悉く行雲行雨の社壇として、一人万民みな天神地神の御子孫なり。大梵天王の統御を去り、中華異域の相接離たり。三韓この土に帰すと雖も、我が朝は未だ他国に属さず。三千余座の神祇、百王守護の権扉を並べ、大小乗の仏法、衆生寄楽の教跡を伝う。神明の擁護怠らず、仏陀の冥助やむことなし。いかでか神国を傾けん、誰か佛家を亡ぼさん。つらつら異国襲来を算れば、人王第九開化天皇四八年(BC110)に二十万三千人、仲哀天皇の御宇(2世紀)に二十万三千人、神功皇后(2~3世紀)の御代に三万八千五百人、応神天皇(3~4世紀)の御宇に二十五万人、欽明天皇の御宇(6世紀)に三十四万余人、敏達天皇の御宇(6世紀)には播磨の国明石浦まで着にけり。その子孫は今世の屠児なり。推古天皇八年(600年)に四十三万人、天智天皇元年(668年)に二万三千人、桓武天皇六年(786年)に四十万人、文永・弘安の御宇に至る迄、以上十一か度競い来れども皆追い返され、多くは滅亡せり。」


お大師様は当然こういう外敵の襲来の歴史も踏まえて鎮護国家を目指されているのです。
お大師様の「国家の奉為に修法せんと講ふ表」には「・・仁王経・守護國界主経・佛母明王経(佛母明王大孔雀経)等の念誦の法門あり。佛、国王のために特に此の経を説きたまふ。七難を摧滅し四時を調和し、國を護り、家を護り、己を安むじ、他を安むず。此の道の秘妙の典なり」とされています。
性霊集第四「国家の奉為に修法せんと講ふ表」です。
「沙門空海言す。空海幸に先帝の造雨に沐して遠く海西に遊ぶ。儻灌頂の道場に入て、一百余部の金剛乗の法門を授けらるること得たり。
其経は佛の心肝、國の霊宝なり。是の故に大唐開元よりこの己来、一人三公、親り灌頂を授けられて、誦持観念す。
近くは四海を安むじ、遠くは菩提を求む。宮中に長生殿を捨て内道場とす。復七日毎に解念誦の僧等をして持念修行せしむ。城中城外に鎮國念誦の道場を建つ。佛國の風範、復是の如し。

其の将て来る所の経法の中に仁王経・守護國界主経・佛母明王経(佛母明王大孔雀経)等の念誦の法門あり。佛、国王のために特に此の経を説きたまふ。七難を摧滅し四時を調和し、國を護り、家を護り、己を安むじ、他を安むず。此の道の秘妙の典なり。

空海、師の授を得と雖も未だ練行すること能くせず。伏して望むらくは、國家の奉為に諸の弟子等を率ゐて、高雄の山門にして来月一日より起首して法力の成就に至るまでに、且は教へ、且は修せむ。望むらくは、其の中間にして住処を出でずして、余の妨を被らじ。蜉蝣の心體羊犬の神識なりと雖も(かげろうのようにはかなく、羊犬のように劣った心の者でも)此の思ひ、此の願、常に心馬に策つ。

況や復た、我を覆ひ、我を載するは仁王の天地、目を開き、耳を聞くは聖帝の医王なり。報ぜむと欲ひ、答へむと欲ふに極りなく、際なし。伏して乞ふらくは、昊天款誠の心を鑒察したまへ。懇誠の至りに任へず。謹むで闕(宮廷)に詣でて奉表、陳請以聞す。軽しく威厳を触す。伏して戦越を深くす。沙門空海誠惶誠恐謹言  
弘仁元年十月廿七日 沙門空海 上表」

トランプ大統領の出現等で、日中関係をはじめ国際関係が極度に緊張しています。いたたまれなくなり、畏れ多いことですが数年前この仁王法を授かり、以来事ある毎に修しています。
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