「ここに一の沙門あり、余に虚空蔵聞持の法を呈す。
その経に説かく「もし人、法によりてこの真言一百万遍を誦さば、即ち一切の教法の文義暗記することを得」と。
ここに大聖(仏陀)の誠言を信じて飛焔を鐟燧(サンスイ)に望む。
阿国大滝嶽にのぼりよぢ、土州室戸崎に勤念す。谷、響を惜しまず。明星来影す。
遂にすなわち朝市の栄華念念に之を厭ひ、巌藪の煙霞日夕にこれをねがふ。軽肥流水をみては電幻のなげき忽ちに起こり、支離懸鶉(しいりけんじゅん:不具の人や貧者)をみては因果の哀しみ休せず。目に触れて我を勧む。だれかよく風を係がむ。」(三教指帰 巻の上)
その経に説かく「もし人、法によりてこの真言一百万遍を誦さば、即ち一切の教法の文義暗記することを得」と。
ここに大聖(仏陀)の誠言を信じて飛焔を鐟燧(サンスイ)に望む。
阿国大滝嶽にのぼりよぢ、土州室戸崎に勤念す。谷、響を惜しまず。明星来影す。
遂にすなわち朝市の栄華念念に之を厭ひ、巌藪の煙霞日夕にこれをねがふ。軽肥流水をみては電幻のなげき忽ちに起こり、支離懸鶉(しいりけんじゅん:不具の人や貧者)をみては因果の哀しみ休せず。目に触れて我を勧む。だれかよく風を係がむ。」(三教指帰 巻の上)