二宮尊徳は安政三年1856十月二十日、七十歳で下野国今市村(現在の栃木県日光市)の報徳役所にて没しています。
経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導したとされます。
数々の名言を残されています。ウキぺデアには以下のような言葉が紹介されていました。
積小為大(せきしょういだい) ...
大事を成さんと欲する者は、まず小事を務むべし。 ...
万町の田を耕すもその技は一鋤ずつの功による。 ...
人道は一日怠れば、たちまちすたれる。
道徳のない経済は犯罪である。 ...
誠実にして、はじめて禍を福に変えることができる。 ...
心の田畑さえ開墾ができれば、世間の荒地を開くこと難しからず。
・小学校の校庭に在った尊徳像には「報徳訓
父母根元在天地令命 身體根元在父母生育 子孫相續在夫婦丹精 父母富貴在祖先勤功 吾身富貴在父母積善 子孫富貴在自己勤勞 身命長養在衣食住三 衣食住三在田畑山林 田畑山林在人民勤耕 今年衣食在昨年産業 来年衣食在今年艱難 年々歳々不可忘報徳」が多く刻まれていたようです。
・「学童ら箒を肩に尊徳忌」 富安風生